意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

電子書籍をたくさん読んだ私が紙の書籍の良いところ

昨日蔦屋で本を二冊買って読んだらもりもり読めて100ページくらい読んだ 夜も眠れなくなって読み続けてまだまだ眠くなかったがどうにも寒くなりすぎて布団に入った 布団は妻や子供も寝ているから灯りをつけるわけにはいかないので紙の本は読めず電子に切り替えた あー寝たい寝たいと思いながら文字を追い さり気なく眠気がきたところでそれにすがるように目をつむる 寝れたのか寝れなかったのか気づくと朝だ 私は不眠症ではないのでまあそんな日もあるだろうと思いいつも通り支度をして家を出た 昨日とは打って変わり暑くなりそうだ


電子書籍にはない紙の書籍の良さはいきあたりばったりな読み方ができるところだろう 私は昔からある程度読むと最後をちら見してしまう癖がある 最後を読むとたいていは意味が分からなくてどうやってこれにつながるのかとか考える楽しみがある かなりぶ厚い本を読んだことがあるが最初の序盤を読んでいるときのアンバランスさは電子書籍には再現できない 何せ読んでいないぶぶんが重すぎて気を抜くと今読んだ頁を引きちぎってしまいそうになる それが半分に近づくとべたっと地面に置くと開いたままの形で固まる これはある程度の厚さのある本でないと閉じてしまうのである ここまで読んで初めて「読者する私」になる 何故かというと例えば本を読む様子を映す映像なり人の頭の中の本はまさにど真ん中を読んでいるからである 「読書」とは前や後ろを読むのではなくまん中を読むときの行為しか指さない