意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

あきらめやすいお年頃

私は今は39歳で来年には40になる このブログを始めたのは4年と半年前で振り返ってみると色々なものを手放すために書いていたような気がする 若い頃追い求めていたものをもう無理に追い求めなくてもいいんだと思えるようになった 今日参加したイベントに若いお笑いコンビが出ていてやはり見ていて痛々しい しゃべって、誰もその言葉に振り向かず、反省会とかして、諦めなかったりするのだろう 私はそんな彼らを「応援したい」と思った 彼らが才能に満ちあふれているからでなく彼らが単にがんばっているからである そして家に帰るとそんな気持ちもけろりと忘れた 私は身勝手なのである


都内に住む友達に会いに行きご飯は美味しかったがその後散歩をしたが私は自分でびっくりするくらい風景に感動しないのであった 寒いので早く帰りたかった 地下鉄はホームも暖房が効くので地下鉄で帰ろうと思った 風景に感動しないのは一時的なのかこの先もずっとなのか少し悩んだ 人生が要約されすぎているのではないか テレビで紹介されたパン屋とか心底どうでも良かった 都会に住むとそういうことを言いたくなるのか