意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

坂上忍が夢に出てきた

坂上忍電機屋で飲む夢を見た。ヤマダ電機みたいなところの一角に特設コーナーみたいなのがあって屋台のテーブルみたいなのがあってそこで飲んだ。私は家族親戚一同と参加していて向かいは私の母だった。母と坂上忍はビールを飲んでいた。私は運転だったので飲まなかった。


趣味の話になって私が
「趣味はないし人生の楽しみというものも特にない。暇なので本を読んでいる」
と言うと坂上が眉間にしわを寄せ
「それは問題だ」
と絡んできた。母にも「これは困っちゃいますよね?」と投げかけたが母は黙っていた。母は私の性格を理解していた。私は特に問題はかんじないし趣味とか楽しみとかは自然と持てる人はいいがそうでない人はプレッシャーでしかないみたいな反論をし本当にそう言ったかは忘れたがとにかく坂上忍を刺激するようなことを言った。坂上もムキになってしばらく議論した。


私が興奮してくると母が「少し飲んだら」とビールを勧めてきたので飲んだら坂上が問題視してきた。それは飲酒運転になるとわかっていながら飲酒することよりも一度「飲まない」と宣言しながらすぐにそれを破ってしまう「男らしくない」問題視であった。


少しすると坂上忍の携帯のバッテリーが切れ(あるいは切れそうになり)私にモバイルバッテリーを売れと言ってきた。モバイルバッテリーはこの宴席の前にビンゴ大会みたいなのがあってそこで景品としてもらったものだった。坂上
「800円で売れ」
と言う。私は安すぎると思ったので「4500円」と突っぱねこれはお互いが少しずつ譲歩して中央値になるやつだなと思ったら坂上は一向に上積みをする気配がない。仕方がないから隣の知らない人にいくらが妥当かと訊ねると
「4000円」
と答え坂上は悔しそうにした。しかし坂上は私の目を盗んで充電していたようだ。


帰ることになったので私と母は親戚に頭を下げて店を出た。マッサージチェアに座っている人もいた。とちゅうでパン屋に寄ることになってそこで母にアーモンドとココナッツとどっちがいいか訊かれ私は断然アーモンドだったが試食のココナッツを食べたら揚げたそら豆みたいな味がして美味しかったが時すでに遅しだった。その場で騒ぎ立てれば間に合うタイミングだったが私は言い出すことができなかった。私の過去に言い出せなかったことは山ほどある。パン屋を出て私はそこで車を置いてきてしまったことに気づき母に報告したら公共施設だからしばらく置き去りにしても問題ないだろうと言われた。ここからさっき坂上忍と議論したのが電機屋だったのかあやしくなってきた。


家に帰って景品のモバイルバッテリーを自分の携帯につなぐとみるみる私の充電は減って一気に残り1%になってしまった。これは坂上忍の呪いだろうか。


起きたら妻が朝マックを買ってきた。

東京から人が

東京から人がやってきた。この人のおかげで私は先週くらいからてんやわんやで周りの人々の行動それぞれがかんに障ってそこら中を蹴飛ばして回りたいかんじょうにかられた。蹴飛ばしたら気持ちいいだろうが私の職場にはすぐ物に当たる人がいるから私もその人と同じカテゴリーに入れられてはたまったもんじゃないから想像上の柱を蹴飛ばすだけにとどまった。台車に書類の束を載せ重い扉を開くが開いて台車のところに戻る間に扉は閉まるからうまく台車のヘリでドアをおさえるように進まないとうまくいかないが誰かが押さえてくれればこんなに神経を使わずに済むからどうして誰も助けてくれないんだと思った。しかし助けてくれてもやはり気にくわないから私は孤独でじゅうぶんだった。


私の勤め先は駅からだいぶ離れていて東京の人はだいぶ参っていた。暑い暑いと言いながらお茶を飲み干した。「ゆっくりやりましょう」と上司が言った。この人はどちらの味方なのか。ずいぶんたくさんの書類に判を押してもらった。
「見るのはあるかないかだけ。中までは見ないよ」
と言うがどこまで信用していいものなのか。現実直前に作成した資料もコピー対象となった。コピーは事務がとった。私は誰かにコピーを頼んだりとか雑用を頼むのがあまり好きでない。飲み干されたお茶も最後私がまとめて洗おうと思ったが東京の人が帰るとすぐに紺のワンピースを着用した女の人が右手にコップ左手にコースターをつかんで出て行った。夏らしい麦色のコースターだが少し安定性にかけ私は東京の人が書類に夢中になってこぼしては大変だと少しコップをずらした。その少し後に今度は上司が私のコップをずらした。上司のコップは空だった。こういうのを「できる人」と言うのだろうか。

子供を怒るのは気持ちがいい

人生案内 成績に一喜一憂 子供を罵倒する母親 山田昌弘先生の回答 - 別館.net.amigo

私は上の子が中学に上がったくらいまではよく叱ったがだんだんとこれは私自身のストレス発散ではないかと思いそうするとシラケてしまい以来あまり叱らなくなった。上記の記事で「怒るとは自分に酔っている」とあって確かにそうだと思った。子供を怒るのはお客様相談室にクレーム入れるのと似ていて反論のできない相手を私なりの論理で完膚なきまでに叩き潰すことである。私も最初のころは「この子のためにここはひとつ叱ってやろう」とまるで嫌な仕事を引き受けたかのような態度で子供を和室に呼んだりしたが内心はウキウキしているのである。それはいわゆる無敵状態というか試し斬りというかとにかく自分の論理の切れ味を試す行為なのである。和室は八畳ででかいテレビがあった。でかいというのは奥行きのことでそのころはまだ地上アナログだったのである。


特に私などは筋を通った話をするのが苦手でそれは話しながら「でもこういう例外もあるぞ」とか「相手の理解度はこの程度だから少し軌道修正しよう」とかリアルタイムであっちこっちわき見するからで最終的に何が言いたいのかわからない。そういう意味でも私が子供を叱ることによって得たものあたえたものは皆無であった。


あるいは加齢もあるかもしれない。いろんなことがどうでもよくなった。よくなったというか「こうでなければ」が減った。加齢のせいにするとあるある話になって思考が減るが例えばお手伝いなどを将来のためにやらせようとか思うことがあったが今は私がやるほうが早いと思うようになった。嫌そうにされると私が傷つくし今はなるべく傷つかないようにしようと心がけるようになった。そうすると他人をあてにするより自分が動いたほうが早いのである。また上の子は勉強があまりできず昨日などは学校から封書を預かってきて見ると夏休みちゅうはよく指導するようにということが書かれていて私は学校というところは大変だなと思った。子供に話を聞くと来週は歴史の補習だと言いいつの時代かときくとエジプトだという。なので私は織田信長の家臣団の本を読み終えたら今度は古代ローマとかあの辺で読めそうな本を探そうと思う。なにせ勉強をさせたり勉強をする気を起こさせたり勉強を教えるよりも私自身が勉強するほうがよほど楽だからである。当然それで子供の点数が上がるわけではないが三者面談で五賢帝の話をちらつかせれば先生もなんて教育熱心な親だろうと思ってくれるかもしれない。

しゃもじ

朝奇妙なことがあった。炊けたばかりの炊飯器の側面にしゃもじがついてなかった。しゃもじがないことは特に奇妙なことではなく探したらあった。その後が奇妙だったがなんだか書くのが億劫になってきたのでここでやめておく。


1984年」を最近読んでいる。インターネットでよく名前を見る書籍なので興味を抱いた。まだ20%程度読んだところだが特におもしろくはない。最近の国会や政府の様子が「1984年」になってきているみたいな論調があるが確かにパラレルワールドでありながら「これは他人事ではない」と言われているような気がしてしょっちゅう「ほらここも」も言われているようで気が重くなる。そういえばこの前の「人生論ノート」では盛んに「今に通じる」みたいに言われていたがどうして人は読むもの読むもの今を生きる私たちにつながなければ気が済まないのか。良い読書の尺度として読む前と読んだ後にどれだけ自分が変われるかというのがあるがそんなにしょっちゅう変わっていたら疲れてしまう。ある程度生きてきたら自分の人生観なりがそう簡単に変わったりすることはないというからあるいは疲れるとこぼす私が変なのかもしれないが私だってそうそう変わったりはしないが書かれている側の隙あらば変えてやろうみたいな雰囲気が疲れるのである。もちろん何事もアンバイだがたまには気楽な読書もしたい。同時進行で読んでいる織田信長の家臣団の本はその点気楽だ。家臣団の本だから次から次ににょきにょきと人物名が列挙され「前述の○○とは縁戚にあたる」とか書かれると「知らんがな」となるがこれらの名前をすべて暗記しなくていいというのは爽快である。私が今十代でしかも受験を控えていたらもう気が気でなくなってぶん投げてしまうところだがもう試験も教養もないのだからそれをかんじられるだけで幸せである。

20日には夏祭りがあります2

記憶力がほんとうにおとろえたかは自分では判断がつかないが私は昔から暗記科目が苦手で漢字テストはいつも居残りをさせられていた。しかし大人になっていくつかの資格試験だのを受けたときには特に苦もなく合格点をとれたから私の暗記力は人並みであり暗記科目は正確には苦手ではなく単に嫌いだっただけと分析する。私の子供なぞは10歳を目前にして暗記を苦にする様子もなくこの前のテストでは98点をとってきた。100点にならなかったのは私のせいで前日に正しいか見てくれと言われたときに「大腸」の腸が陽になっていたのを見落としてそれにバツをくらったのてある。なので私は漢字が苦手で子供のころは20点とかしかとれなかったことと6年のときに担任が席を外した隙に同室の落ちこぼれたちをそそのかして居残りから脱走したら校門を出て最初の門で担任に見つかり怒鳴られるのかと思ったらどういうわけか優しく「おーい」なんて言ってきてこの担任は黄色いポロシャツの似合う女でショートカットでミュージカルでいうと「サウンドオブミュージック」の主役を張れそうな朗らかな女だからそんな女に「おーい」なんて呼びかけられたら何か楽しいことがあるのかと思ってしまう。事実その少し前には中にはで飼われている鴨が卵をうんでそれがかえりヒヨコたちが親のあとをついて側溝をよちよい歩いたりして私たち6年は最上級生で教室は3階にあってその様子をベランダに出て上から眺めていた。そのヒヨコの新しいエピソードではないかと期待して校門まで戻ったらみるみる担任の顔が変わって怒られた。そんな話をこのブログに何度か書いたし私の子供は私のせいで漢字テストの満点を取り損ねたので勘弁してほしいという気持ちでこの話をしたら笑われた。笑いの中に戻った私たちが愚かだとニュアンスが含まれていた。私はだまし討ちをした担任を許すまじと長い間思っていたがだまされる私たちが愚かだったのだ。しかしやはりあのまま無視して帰るとやはり次の日がもっと怖くなる可能性があってやはりあのとき私たちはどこかで怒られることがわかっていて案の定こっぴどく叱られて心のどこかでは安心したのではないか。怒られて済むとか済まないとかいう物言いがあるが怒られるというのはもうその瞬間は許されているということである。そのときは冗談じゃないと思うが。例外もあるが。


逆に決して許してはならないと思ったら簡単に怒ってはいけない。

20日には夏祭りがあります

通勤路に「20日に夏祭りがあります」旨の看板が立てかけられていてそれは何を意味するかというと夜間通行止めになるということだ。夜間というか夕暮れ時である。毎年そうだがなので迂回して帰らなければならない。以前に何度か書いたが私の通勤路は何パターンかありその中で通行止めのルートを通らないパターンを選べば良かった。しかし私は毎年どうやってそれをおぼえていればいいのか途方に暮れる。思うに私は手帳などを持ったことが生涯で二年くらいしかなくメモに書いても必ず見るとは限らないしとにかく紙切れはすぐに捨ててしまう。私が手帳を持たない理由はいくつかあるが一度持ち出すと常に持っていないと落ち着かず例えば出先などで家に忘れたことに気づくとそれだけでむしゃくしゃしてしまう。あと私は字が下手だしいちいち手指を動かして字を書くのが面倒で予定を書き込むくらいならおぼえてしまおうという性質なのである。ところが記憶力がおとろえた。

スピッツの2

昨日スピッツについて書いたがとちゅうで書くつもりだったことが変化した。私は件のスピッツの「スピッツらしさ」というワードを目にしてあることを思い出した。あることとはそれは私の記憶であり比較的古い記憶である。私の家の隣には塀のある二階建ての家屋があり屋根の色はオレンジだった。対して私の家は平屋で紫色の屋根だった。その家から出て私はよく往来をうろうろした。自転車を乗り回すこともあれば歩くこともあった。ボールなどの遊具を持つこともあった。私の家には当時テレビゲームがなかったので外をほっつき歩くことが多かったのである。また私には妹と弟がいてそれらはまだ幼かったので母が面倒を見なければならずそのため比較的おさなくなかった私はひとりで行動する時間が増えた。その中で隣の本家の桑畑の任意の株を神様に見立ててその日の出来事を報告したりした。子供のころの私はある種の規律に従って生活をしていたがそのほとんどはもう忘れてしまった。


ある日いつものように往来をうろうろしているとオレンジの屋根の家の子が往来の真ん中でわんわん泣いている場面に出くわした。オレンジの子は私の弟と同い年で弟は私の6歳下だった。それが泣いていた近づいてみると「お母さん」と連呼していたのでどうやらこの子の母親がどこかへ行ってしまったことがわかった。オレンジの母親は頭にパーマをあてた豚に似た女であった。私は豚に似た女がこの世から消えたところで何がそんなに悲しいのか理解できなかった。もちろん私にも母親がいてその母親とは眼鏡をかけていて美形の類ではないがそれが見えなくなってしまえば不安になってパニックを起こすだろう。母は当時は専業主婦だったし幼い弟や妹につきっきりだったので私の把握していない場所に行ってしまうことはまずかった。私が理解できなかったというのはつまりそういう不安を起こす対象というのが個人によって異なることであり異なる対象が見えなくなったところでこちらは何の動揺も起こさないということだった。そして異なる対象に激しく動揺する姿というのはとても滑稽に見えるということだった。


私はスピッツのファンに対して上記の滑稽さを見いだし「スピッツらしさ」とはそんなに大層なものが果たしてあるのだろうかとか思ったが私はあれから成長してそれなりの想像力と社会性を身につけたのでスピッツファンが抱くスピッツらしさとは私がかつて抱いた米米CLUBらしさや相対性理論らしさやイエモンらしさやブランキーらしさと置き換え可能だと気づくことができた。というより上記の私の母親でない母親がいなくなって不安をあらわすオレンジの子供に遭遇したときから気づいていたが。気づいても想像力と社会性を身につけなければコントロールができないが。