意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

スピッツの2

昨日スピッツについて書いたがとちゅうで書くつもりだったことが変化した。私は件のスピッツの「スピッツらしさ」というワードを目にしてあることを思い出した。あることとはそれは私の記憶であり比較的古い記憶である。私の家の隣には塀のある二階建ての家屋があり屋根の色はオレンジだった。対して私の家は平屋で紫色の屋根だった。その家から出て私はよく往来をうろうろした。自転車を乗り回すこともあれば歩くこともあった。ボールなどの遊具を持つこともあった。私の家には当時テレビゲームがなかったので外をほっつき歩くことが多かったのである。また私には妹と弟がいてそれらはまだ幼かったので母が面倒を見なければならずそのため比較的おさなくなかった私はひとりで行動する時間が増えた。その中で隣の本家の桑畑の任意の株を神様に見立ててその日の出来事を報告したりした。子供のころの私はある種の規律に従って生活をしていたがそのほとんどはもう忘れてしまった。


ある日いつものように往来をうろうろしているとオレンジの屋根の家の子が往来の真ん中でわんわん泣いている場面に出くわした。オレンジの子は私の弟と同い年で弟は私の6歳下だった。それが泣いていた近づいてみると「お母さん」と連呼していたのでどうやらこの子の母親がどこかへ行ってしまったことがわかった。オレンジの母親は頭にパーマをあてた豚に似た女であった。私は豚に似た女がこの世から消えたところで何がそんなに悲しいのか理解できなかった。もちろん私にも母親がいてその母親とは眼鏡をかけていて美形の類ではないがそれが見えなくなってしまえば不安になってパニックを起こすだろう。母は当時は専業主婦だったし幼い弟や妹につきっきりだったので私の把握していない場所に行ってしまうことはまずかった。私が理解できなかったというのはつまりそういう不安を起こす対象というのが個人によって異なることであり異なる対象が見えなくなったところでこちらは何の動揺も起こさないということだった。そして異なる対象に激しく動揺する姿というのはとても滑稽に見えるということだった。


私はスピッツのファンに対して上記の滑稽さを見いだし「スピッツらしさ」とはそんなに大層なものが果たしてあるのだろうかとか思ったが私はあれから成長してそれなりの想像力と社会性を身につけたのでスピッツファンが抱くスピッツらしさとは私がかつて抱いた米米CLUBらしさや相対性理論らしさやイエモンらしさやブランキーらしさと置き換え可能だと気づくことができた。というより上記の私の母親でない母親がいなくなって不安をあらわすオレンジの子供に遭遇したときから気づいていたが。気づいても想像力と社会性を身につけなければコントロールができないが。