意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

書くことがないときは

書くことがないというか書く気が起きない今日この頃。そんなときは過去の記事をコピペしようと思っている。まったく同じ本文タイトルでも気づく人は皆無だろう。いちばん最初の記事からすべて読んだという人は私以外には皆無がいてもわずかだろう。たくさん書いて良かった。たくさん書くことによって読む人は私がほんとうのところどういう人でどういう考えで日々文字を綴ってあるのかわからなくなる。すべての記事において
「いや今日の記事は仮なんですけどね」
とつくろうことができる。ふつうそういうときは「ぜんぶ仮だろ」とつっこまれてしまうがたくさん記事があるから
「仮じゃないときも過去にはあったんですよ」
といい返すことができ相手はまさかこれからぜんぶ目を通すことなんてできないから何も言えないのである。過去があって良かった。過去は薄っぺらいだとか過去というものじたいの存在すら危ぶまれるが少なくとも過去は自分をカモフラージュするのに役立つ。ごまかしに使われるから薄っぺらいのか。

煙草臭い

どういうわけか体が煙草臭い。仕事場は建物の中が禁煙でみんな建物の外で煙草を吸う。みんなとは複数の人である。缶の灰皿があり定期的にそこに人が集まる。粗末な灰皿で台風がきたときには吹き飛んでいた。しかし煙草を吸う人たちが必死に灰皿をつなぎ止め守るのであった。


ところで私の会社のとなりには材木市場があって市場はフェンスに囲まれているがそのつなぎ目から中を覗くとどうやらそちらの喫煙場は屋根付きで建物とくっついていて見張り小屋のようである。窓がくっついていてそこに肘をもたせかけながらゆっくりと煙草をくゆらせることができそうだ。私はもし自分でも煙草を吸うなら隣の喫煙場のことを話し、トタンの屋根でもこしらえたいが吸わないので関係なかった。隣の会社との間には地面が露出しているぶぶんがありそこの雑草がすごい。

チェーホフは良い

ここのところ小説をあまり読んでいなくて小説を読むというのも続けないと筋肉のように衰えてしまうのか昨日ひさしぶりに「寓話」を読んだら何が面白いのかわからなくなっていた。山下志津のお母さんが手紙を寄越した場面でお母さんは怒っている。何を怒っているのかというも山下志津の父親が小島信夫であるというのを小島信夫が暗に肯定してしまったことでお母さんは「ぜんぜん違う」と否定するのである。その後山下志津本人から手紙が来て「私はどっちでもいいしどっちでもいいのがベストだ」みたいなことを言い当の小島信夫はここのところ目が悪くなって助手に手紙を読ませていて手紙の中には「ここのところ目の具合が悪いそうですができれば私の手紙は小島さん本人が読んでほしい」とか書いてあってすっかり気を悪くした助手はとちゅうで読むのをやめて帰ってしまった。折しも小島の目は良くなってきていて結局自分で読むのであった。話としてはめちゃくちゃでこんなものが小説なのかと思うが意外と読めるのである。


しかし読めればなんでもいいというわけでもないので一昨日に本屋に行って本なんか買いたくなかったがとにかく本屋をぶらぶらしようと思って大きい本屋に行ってそこは車で40分くらいかかるからとちゅうで帰ろうか帰ろうかと思いながら団子屋の前を通りそこは本店だったがお盆だから閉まっていて店舗はちいさく建物の側面にくっついているプロパンガスのタンクもちいさくてずんぐりむっくりしていてこんなところで若い売り子が一日中団子を焼いていて人生を恨んでいないか心配だ。私だったら恨むがだいたいの子はあっけらかんとしていて家帰ったらドラマを見るとか週末は友達と遊ぶとかそんな風に一生は目減りしていくのだ。


本屋についてチェーホフをぱらぱらめくったらやっぱりチェーホフはすごいと思い何がすごいのかと言うとひとつの文章が短くてすごい。ひとつの文章を短くなんてブログの指南書にも出てきそうな文句で陳腐だが短いとリズムが生まれて良いね。よくところどころを極端に短くしてあとはだらっとして緩急つける小説みたいなのもあるがピッチャーじゃないんだからと思う。世のピッチャーがみんなそうだとは言わないが緩急をつけるなんて自意識過剰である。自意識が悪いとは思わないが読んでいるほうに意識させるようではダメだ。

元気


共感した。過去色んな人の悩みなどを聞き解決作を提案したり一緒に考えたりしたがそのことごとくが的外れであった。きまぐれで上記のツイートにも言葉を重ねたが火急の人がそれを読んで「そう・そう」となることは決してない。そうなるためには私が当事者にならなければいけないが私は元気だ。私はここのところ休日はまったく元気がないがなんとなくコンビニでアイスコーヒーを買ったらカフェインが効いたのか急に元気になって小説まで書いてしまった。

弟殺し - 弟殺し(fktack) - カクヨム

もう嫌だとなるまで書いて満足した。疲れたが心地の良い疲れだった。こんな状態で火急の人に寄り添えるわけがないが寄り添えそうに思ってしまうのが罠なのである。私の疲れと彼らの疲れは別ヴァージョンなのである。いっそのこと「君の分まで生きるよ・アディオス」と言い放つのが理想な気がするが言えないから理想ではない。だからどこまでも保留だ。

需要

大学時代は経済学部だったので「需」という字をよく書いた気がする。需という字は日常的な何かをあらわす言葉でなかったから当時から書いていて違和感があった。雨かんむりでいちばん馴染みが深いのは何だろう。雷とか電とか。雷は電気を帯びているから似た字にしたのか。とにかく需ではない。私は大学時代はとんだバカ者だったから経済をならって残ったのはこの需くらいである。この字はもう死ぬまで書かないかもしれないと思うと不思議だ。大人になってさらに何かの仕事につくともう似たり寄ったりの字しか記さない。文筆業もそうかもしれない。私は毎日文字を今はつづっているがそれでも似たり寄ったりの言葉が並ぶ。しょせんひとりの思考なんて限られているのだ。三人寄れば文殊の知恵なんて言葉を今朝ひさしぶりに聞いたが私からすると複数の思考は公倍数みたいなものになって歯ぬけの思考である。

大学時代はひとりだったから良かった。学外にはバイト先とか家族とかあったが少なくとも大学にいるときはひとりだったから良かった。大学で私の名前をいえる人は教師も含めて10人に満たなかった。そういえば私の通った大学には教授がいなかった。いたのだろうが誰も教授なんて呼ばなかったので誰が教授なのか知らなかった。教授なんてお話の中だけの存在なのかもしれない。とにかく私は毎日ほとんど言葉を発せず一度だけ知らない女から話しかけられ心がときめいたがそれは単にノートのコピーをとらせてほしいとのお願いだった。私が物静かだったから勉強熱心に見えたのだろう。しかし私は暇つぶしに板書していただけだった。しかし私は快くノートを提供しとても頭の悪そうな女だったからコピー機から帰ってきたら私からノートを借りたことなんて忘れあるいは私の顔の見分けがつかなくなってノートは返ってこないだろうと思ったら返ってきた。たぶん夏だった。203だか303の馬鹿でかい教室であった。

少年の証

朝子供を駅まで送っていったら水色のワイシャツにねずみ色のズボンを履いた男が全力疾走していてその格好が近くの私立高校の制服に似ていたので高校生かな? と思ったら中年だった。動く物体だったので年齢を見当つけるのに時間がかかった。それがバス停を過ぎたあたりで不意に後ろを振り返りその振り返り方が上半身の筋肉を余すことなく使ったような振り返り方だったので私はこの男は過去には間違いなく少年だったことを確信した。例えば鱈だか鯖だかよくわからない魚のヒレをぺりっとめくり
「ほらここが○○だからこいつは間違いなく鮭の仲間」
みたいなニュアンスで男の筋肉か神経のいちぶには少年のそれが残っているのである。そんな風に思えるのは私が男と大して年齢が変わらない・あるいは私のほうが年上だからである。世の中に頼もしくかんじる人が減ったのは世の中に年下が増えたためである。私は今朝若い人を叱った。
「話聞いてた?」
「俺言ったよね?」
なんて凡庸な言葉を吐く日がくるなんて思わなかった。しかし彼だって私が目印に貼っておけと言った紙をくしゃくしゃにして捨ててしまったのだ。くしゃくしゃにも色々あるが目の細かいかなり念入りにされたくしゃくしゃだったので余計に私はムカついた。野球ボールみたいにしてゴミ箱に放り込んだのだろう。甲子園の季節ですねとでも言いたいのだろうか。涼しい夏である。江戸時代も涼しかったのだろうか。

語りえぬもの

小説という伝え方-2 - takumi296's diary


私は匠さんの文章が好きでいろんなブログを読んでいると退屈なものがありそういうときは読んでいてもほとんど読み飛ばしてしまい内容がまったく把握できていないということがあるが匠さんのばあいはだいたい残る。ひとつの理由として淡々としているところがあり上記の記事でも自身を凡庸な書き手と評しながら後半では若い頃は感性が豊かだったと言っている。そういうニュアンスで書いてはいなかったが自分についてプラスの評価をきちんと書いて尚且つ嫌みじゃなく書ける人は少ない。向上心をもつことが美徳とされる世の中のせいなのか人々はたいてい自分のどこが劣っているか何を持っていないかをアピールする。たまにいかに自分がすごいかを過剰にアピール人もいるが過剰な時点で劣等感のかたまりであることが透けて見える。たまにネガティブさがものすごい光を放つが誰もが太宰治になれるわけでもない。


記事の中で優れた作家はテーマを絞り込んでいるとあって知っている小説家を思い浮かべてなるほどそうかもしれないと思った。山下澄人の小説について飴屋法水が「一貫して震災のことを書いている」とどこかに書いていてまったくそんな風には思わなかったが山下澄人のトーンはいつも同じで年老いた男が惨めに死ぬ。そういえばいつも誰かが死ぬが若い人が死んだことはない気がする。芥川賞の「しんせかい」は若い人ばかりだったから誰も死ななかった。「水の音しかしない」はみんな津波に飲まれたがあれこそ震災の話である。


私はまた村上春樹のことを思い出し私は村上春樹の「国境の南太陽の西」「スプートニクの恋人」「ねじ巻き鳥クロニクル」の一連の作品の中で失われた恋人(だとか妻とか大事な人)が作品を追うごとに徐々に戻ってきていてしかし完全に元通りになることは決してなく若い私は歯がゆかったが村上本人は「デタッチメントからコミットメント」とか言っていて元通りになるというのはむしろ例外であり至難の業で決して努力云々でどうにかならないと一貫して言っている気がする。


私はテーマとか主題というのは意識するものでないと思っていて例えば私は私の記憶について書こうと思うのはスケールを小さくしてしまう行為だと思っている。思う程度のもの言葉で言い表せる程度のものは書きたくないと思っていてそれは自分自身の制御は結局自分ではできないという根本的な考えから発展したもので(あるいは逆で)である。主題とかテーマは自然と寄っていくものだと思っているがこれはどちらかと言えば願いに近く私は今後はテーマとか意識してもいいかもしれない。