意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

思い出す夏

ここ数日で急に暑くなって暑さが懐かしい ラジオではしきりに「まだ体が暑さに慣れていないから注意するように」と言っている扉を開けるとサウナみたいな熱気が寄せてくる


ところでニュースで事件があって犯人が捕まったらアニメが好きだったみたいなことに騒がれている 正確には違うのかもしれないアニメと殺人には因果関係はないのにやたらとアニメ好きを強調してくるという主張が多い しかし私からすると例えば「(犯人は)サッカー部のキャプテンだった」というような報道もよく耳にし、だからなんだと思ってしまう この辺はきちんと統計をとっとみないとわからない

話せば何かしらわかる

「話せばわかる」だなんて、やっぱり嘘だった | Books&Apps

もともとの意味合いは「話せば相手と理解し合える、価値観を共有しあえる」ということだろうが私が言っているのはそれがわかるということでつまり場合によっては何を言っても無駄だということがわかるという意味だ 私はどちらかと言えばわからない人に出会ったときには新種の生物を発見したときのような前向きな気持ちになる 仕事で8年くらい一緒にやっている人はかなり偏った人でウソもつくしこちらの言ったことも高確率で曲解する それでも最初のころはまだ理解していてそれは私のほうが後輩だから理解しようと努めて譲歩できるぶぶんはそうしたからである しかしさらに後輩が入ってきて何かのときに「あの人はおかしい」と2人で情報が共有されるようになってそこからは土砂崩れみたいにあれよあれよというまにヤバい人という評価になってしまった


よく意味もなく嘘をつく人がいるみたいな話を漫画などで聞くがしかしよくよく観察してみるとその人なりの理屈というか欲望があるのである 件の人もそうしなければ自己を受け入れられなかったのである 私の採用試験の結果が芳しくなかったが特例で採用されたという話を聞いて私はかなり理解に苦しんだ 何故なら面接した人がそのとき試験の点数を見せてくれ「合格ライン」をこえた旨を言っていたからだ 今となっては嘘だと確信しているから苦しくはないが今度は何故そんなウソをつくのか理解ができないが前述のようにそれが彼が自己を維持するための手段なのである そのような見地に至ったのはやはり長い時間同じ空間で仕事し言葉を交わしたからでそう考えると話すことによって何かしらは得るのである

テープ起こし

昨日実家に行ったら父がテープ起こしをしていて今時自分で聞きながらテープを起こす人なんていないと指摘しスマホのアプリをいくつか紹介した 私自身はテープ起こしなとしたことはなくそういうアプリがあると思ったのは勘というかそういう風潮だと適当に言ったらあった しかし私が探したのは自分用でそばで喋らないと拾わないやつだった 父はICレコーダーの代わりになるやつを求めていてそれは例えば会議のときに机の上にぽんと置けばみんな拾ってくれるようなやつだ そういうのは良いマイクを用意すればいいのだろうか そうやって自分で調べて良いかんじにすればいいのだろうが父も年だし私はそこまで面倒見は良くないしきちんとやってくれるか不安だ また、父は同じ会社で英語ができるからと翻訳ばかりする社員がいて困っていると言い今時のパソコンなら良い翻訳ソフトがあるのではないかと言い私は翻訳アプリを紹介した 最初は手書きの原稿を打ち直すとか言っていたからOCRのアプリを探したが私のは手書き文字にはまったく歯が立たなかった だから手書きの英文もダメだろうと思ったら英文はメールらしい それならぐっとハードルが下がりなんならマウスオーバーするだけで日本語になる勢いだが父の会社の人は相手は独特の言い回しをするから翻訳ソフトでは歯が立たないと一日中翻訳をするらしく父は困っている 私にも経験があるが得意なものに固執する姿は端から見れば哀れである

昔の写真が直視できない

実家に行ったら妹に昔の自分の写真を渡されそういえば結婚するまでは割と熱心に写真を撮っていたように思う 現像に出すときに安い店と高い店があった 私はセブンイレブンにアルバイトをしていたからそこで現像に出したこともあったがセブンイレブンは高かった 一枚いくらみたいな計算だと高くなり安いところだと一括でいくらという計算なのだ そういう安い店を誰かに教わってとちゅうからそちらに出すようになったのだが今となってはどこだったか全く思い出せない とにかくあるときから私は全く写真を撮らなくなった


写真を現像に出すというのは今となっては完全に消滅してしまった行為だが思い返すと奇妙だ 初めてインターネットでCDを買ったとき、あるいは初めてCDをコピーしたときの着慣れない服に袖を通したときのような居心地の悪さがあった それまで一生懸命カセットに録音をしていてMDが登場してMDは少し未来なかんじがしたがそれから先のPCを介したコピーや購入は手応えがなくて独特の心細さがあった それまでは物理ボタンがありボタンは録音専用(あるいは兼用)だったがPCの場合は画面に出てきた録音の領域に矢印を合わせてマウスを押すだけである それに合わせてCDが回り出すが果たして意図通りの結果が得られるのか不安であった PCというのはそれまでの家電よりも汎用性が高いからどこかで道を間違える可能性は高かった それまでなら「故障」という判断が容易だったが今では自分の勘違いなのかハードとソフトの相性なのか判断が難しい


そういうことをやり始めてもう10年以上が経つとすっかり馴れて今度はテレビのリモコンについた食べかすが気になったりレンタルビデオをわざわざ返しにいく行為がとんでもなく田舎くさくかんじてしまうが過去とそれ以外を比べるのは楽しい作業だ 例えば携帯電話を持つようになって待ち合わせの楽しさが消えて寂しいみたいなことばかり言われるが私のドラムの先生は留守番電話が出たときに「これで電話に縛られることがなくなった」と感動したという 仕事の電話に取れないと他に流れてしまうからそれまでは極力電話のそばにいなければならなかったらしい

母の日

明日は母の日だというのに母が死ぬ夢を見た 父と飯を食っていて食べ終わったら「頼むわ」と言われ頼まれたのは洗濯物をたたむことだった 洗濯物についている洗濯バサミを外しながらずっとこれをやっていた人はもういないんだと思うと泣けてきた それからすぐに目が覚めてそういや生きてるなと思い出し安心した 40歳手前になってもそんな夢を見る というか定期的に見る 私にとって母とはなんなのか 幼稚園のときに風呂場で毒ガスが発生して母が死ぬ夢を見たときは翌日になってまた夜になってその夢を見るんじゃないかと気が気じゃなかった 「怖い夢見ない」と唱えながら床についた


以前も書いたが夢から覚めるときはその間の状態があって母の死で言えば生きてそうだが確信が持てないみたいな時間帯がある 私はそれをトンネルと表現しそこで道を間違えれば母が死んでいる現実へ行くということを書いた 間違えなくてもいつかは死ぬから「死んだんだっけ?」と思いながら目を覚ましても死んでいて朝からため息をつくのである 死は一方通行だから生きてきたことを確信して安心した朝のことを懐かしく思うのだろう あるいは死んだら死んだ夢は見なくなるのか 夢はいろいろ容赦してくれる装置である 転職に失敗して鬱になりかけたころ「この現実は夢だったんだ」と目が覚めて前の職場へ行く夢を何度も見た 本当に覚めたときにどんな気分だったのか全くおぼえていない

ありそうでなかった

ライフガードのお酒というのがあって買ってみたがそのものの味はともかく食事と合わなくてげんなりした ここのところ家で飲む酒がことごとくまずく外で飲む機会もあまりなくなったが全体的に不味い 甘いものは好きだが甘いものは単体でとらないとしんどいということにようやく気づきつつある


思えば子供のころ最初にかんじた「合わない」は寿司とコーラだったと記憶する 母方のおばあちゃんちに泊まりがけで遊びに行ったときおばあちゃんちの何が楽しいのかと言えば比較的わがままが許容されることでだから寿司とコーラなんて組み合わせができたのだと思う 通常なら食事が豪華なら飲み物の選択肢は奪われるのである 私は得意になって頬張ったがだんだんと「これはいけない」ということに気づいた 給食の話題が出ると「ご飯と牛乳の組み合わせはひどい」みたいな話が出るがよく考えるとご飯とコーラのほうがもっとひどい さらに酢飯でありその上生の魚が乗っているのである


ちなみに今日はちりめんじゃことライフガードという組み合わせだったがやはりひどかった お酒は悪くないというのを最近どこかで聞いたが