意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

めかきにちと

迷惑メールが以前よりもよくくるようになった 携帯のアドレスである 最近メーラーを替えたところでつまり以前からこの手のメールはよく来ていたが前のはどんどん迷惑メールフォルダに入れてくれるから目につくことはあまりなかった 一方で意中のメールが迷惑に入ってしまうこともあってそれは困ったがそもそもメールをやりとりする相手は以前に比べればほとんど0だ


迷惑メールは例えば海の向こうからやってくると日本語がおかしかったりして滑稽なのだがそれを通り越して怖いのが最近増えた たとえば今日のメールは語尾に「めかきにちと」と記されていて意味不明で怖い 逆に考えると意味にならない音の組み合わせは思ったよりもたくさんあって不気味なのである この手の怖さで昔あったのは開いているExcelを放置しているとどんどん文字が入力されていってしまうというやつでそこで打たれた文は中途半端に意味が通っていて漢字変換もなされた まったく意味の通らない文ならば文字入力の故障かなと思うが意味があるということは入力者がいるということだから薄ら寒かった どんな内容だったかは覚えてないが

電子書籍をたくさん読んだ私が紙の書籍の良いところ

昨日蔦屋で本を二冊買って読んだらもりもり読めて100ページくらい読んだ 夜も眠れなくなって読み続けてまだまだ眠くなかったがどうにも寒くなりすぎて布団に入った 布団は妻や子供も寝ているから灯りをつけるわけにはいかないので紙の本は読めず電子に切り替えた あー寝たい寝たいと思いながら文字を追い さり気なく眠気がきたところでそれにすがるように目をつむる 寝れたのか寝れなかったのか気づくと朝だ 私は不眠症ではないのでまあそんな日もあるだろうと思いいつも通り支度をして家を出た 昨日とは打って変わり暑くなりそうだ


電子書籍にはない紙の書籍の良さはいきあたりばったりな読み方ができるところだろう 私は昔からある程度読むと最後をちら見してしまう癖がある 最後を読むとたいていは意味が分からなくてどうやってこれにつながるのかとか考える楽しみがある かなりぶ厚い本を読んだことがあるが最初の序盤を読んでいるときのアンバランスさは電子書籍には再現できない 何せ読んでいないぶぶんが重すぎて気を抜くと今読んだ頁を引きちぎってしまいそうになる それが半分に近づくとべたっと地面に置くと開いたままの形で固まる これはある程度の厚さのある本でないと閉じてしまうのである ここまで読んで初めて「読者する私」になる 何故かというと例えば本を読む様子を映す映像なり人の頭の中の本はまさにど真ん中を読んでいるからである 「読書」とは前や後ろを読むのではなくまん中を読むときの行為しか指さない

※写真

掃除をしていたら寝室のクローゼットの前にアルバムがあってこれは前から置いてあるのだがホコリがかぶっていることに気づいてそれを取り除き少し中を見た およそ10年と少し前の写真であり上の子が今の下の子よりも幼い様子がおさめられている 口の左右が目一杯奥まで伸ばされている表情は明らかに作り笑顔でありそういえば当時も今も妻や義母は被写体に過剰なくらい笑顔を要求する 笑顔即ち楽しいなんてかなりおおざっぱな判断である しかし当時は作り笑顔だとは思わなかった


ここ十年で私も妻もだいぶ容姿が変わり私はむしろ十年前のほうが老けていたようにすら見える 太っているし髪がもっさりしている ラクダ色の毛布のようなカーディガンを羽織り野暮ったい 周りはみんな半袖である 当時の勤め先の影響もあった気がする だから変だとは思わないが私じゃない気がした ところで上の子が幼い様子を眺めていたら今現在の下の子の顔を忘れて下の部屋まで見に行ったら思い出した 忘れる/思い出すってなんだろう 脳の中は電気が走っているそうだが何かの拍子に導体が半導体や絶縁体になってしまうのだろう 例えば記憶に基づいてその人の顔を絵にしようとしても絶対にうまくいかないから記憶とは写真のようなものではないのだろう そうすると「写真は思い出」というのは厳密には正しくなくさっき私は昔の写真は他人のようだと書いたがむしろ最近の写真に自分らしさを認めてしまうほうが奇妙だ

学食

ひさしぶりにひとりで外食したらチェーンの天丼屋だったが小ぶりな味噌汁茶わんを見ながらふと大学時代の学食のことを思い出した 私は大学時代友だちがほとんどいなかったから昼もたいていひとりで食べていたのである


大学の学食は3つあって第一学食はカフェテリア形式の(カフェテリアって言葉がいまだにわからない)オシャレな内装の学食だった 第三学食はいちばん広くて運動部の集団だのが騒ぎながら食べており雰囲気は明るい そして第二学食はちょうど第一学食の下にあって(第一学食は二階)日当たりが悪くて人気がなかった とうぜん私は第二学食でばかり昼を済ますようになった 第二は生徒だけでなく作業服を来たどっかの業者の人の姿もよく見た 私はカツ丼と焼き肉丼を好んで食べた 410円だったと記憶する しばらく通うとひとり新しい人(中年の女)が入ってきて周りにいろいろ指導する姿が厨房の奥に見えた 私はカウンターで空のお盆を持ちながらその様子を眺めた それが半年一年するとすっかり溶け込んで一戦力になった まるで植物の成長のようだと思った 


あるときその女と同じ電車に乗る機会があったが当然女はいつもの割烹着姿でなかったため私は正面に座るこの女が誰だかわからずかなり混乱した 見覚えがありかつ私には中年の女の知り合いなんてほとんどいないのに誰だかわからない どこかの有名人に似ている可能性や脳のバグの可能性も疑った 最終的に「食堂の女か」と思いいたったときはかなり疲労していた

平日が楽

土曜日なので仕事だったが子供を駅に送ったりしなくて済むから朝はゆっくりできる しかし洗濯機は回さなければならないのでゆっくりしすぎると積む(※わが家は洗濯機予約が禁止されているので前の晩に入れておくということはできない) そろそろ起きようかというタイミングで妻が寝室に来て「洗濯はやるよ」と言ってきた 妻はいつもだいたい下でテレビを見ながら寝ている 私は子供のころから寝室以外のところで寝るのが嫌で布団・ベッドで寝ている(※昼寝は除く) テレビを見ながらうとうとしているところで母に起こされたりまた起こされなくても「歯を磨かなきゃなあ」と思ったりするのが面倒で一切を済ますまでは絶対に目をつぶらないようにしているのである


とにかく妻は私とは正反対なので毎晩遅くまでドラマとか見ている その妻が洗濯はいいと言う やってくれるのはありがたいが妻はいつやるとは言わず夜になってからという可能性も大きくそうすると取り込むタイミングがずれたり後が詰まったりするから本音を言えば自分でやりたいが主張すればケンカになるから「助かるよ」と言う 土日は調子が狂っていけない 平日が楽だ

話し込んでいたら

同僚と話し込んでいたらすっかり遅くなってしまった 私はいいが彼は県外から来ているから悪いことをした 私には子供がいて、今朝「500円ちょうだい」と言われたのであげたようと思ったら1000円札しかなかったので1000円あげた その話をしたら「なにに使うか聞かないんですか?」の不思議な顔をされた 確かに聞いた方が良かったかもしれない 後から聞いたら朝ご飯をたべたかったとのこと 朝ご飯がないのはひもじいがご飯は炊けていた 子供というものはしかし白米が苦手なのだった 家に帰ると義父にお小遣いをもらったのでとにかく最初の差分の500円は返してもらうことにした 給料を差し押さえる債権者の気分である

初夏

今の職場になってから初夏が各段に好きになった 理由を挙げると水を張った田んぼが鏡のように風景を反射してその中を車で走ると爽やかな気分になるからだ 少しすると稲が伸びてもう何も反射しない 今はそうなったのでまた来年が待ち遠しい 他の季節は暑かったり寒かったりちょうど良かったりの繰り返しだ


今年は春先がバタバタしていて体調が良くなかった 花粉症が5月を過ぎても緩和せず加えて腸の調子が悪かった 運動があまりできず寝起きで腰が痛くなった 白髪も増えた カミソリ負けもする 義父母が墓を買った そのためあまり初夏を楽しめなかったように思う 短い初夏だった 5月にプールに入れれば最高なのにと小学二年のとき先生と話した その先生はその年で定年退職してもう30年以上経つからたぶん死んでる 知っている人が知らないところで死ぬのは奇妙だ 子供のころ体が弱くて入退院を繰り返しそこの看護婦に対して退院時に「もう一生会わないのかもな」とかんじるのも奇妙だ 太い柱の病院だった あるいは大人になってお父さんのチンコが小さく見えるのと同じように柱も普通の柱だったのかもしれない


私のカルテは分厚く、大きなインクの染みがついていた