意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

過去はいつでも

糸井重里が「若いころにしなかったことについて40代を過ぎて請求書がくる」ということを言っていて腑に落ちずに考えていたんですが、結局それって「20代のころにしなければならない10のこと」の類の裏返しなのではないかと思いました。僕が若いころはそういう「しなければならない系」の本が流行っていてそういえば最近は見ませんがもうみんなやり尽くしちゃったからではないか。僕はどうしてしなければならないことが(しかも期限付きで)あるのか理解できなくて理解できないというのはつまり「到底できない」という思い込みとコンプレックスからきていて僕は自分に自信のもてない若者でした。だからそのコンプレックスを跳ね返すために僕は「「しなければならない」はすべて間違っている」と思うようにしてそういう決意が尾を引いてこの度の「40代の請求書」の違和感につながったのではないか。


そもそも決まった年齢、年代で同じイベントが起こるという発想がおかしくて例えば僕の甥はこの春から幼稚園に入ったのですが早生まれで自分の服のボタンを自分でとめることができない。それでも先生は手伝ってはくれないと甥は母親に訴え母親は先生に文句を言おうと思ったのですが、僕は「一方の言うことだけをとるのはフェアではない」と思った。また、自分の子だけできないのは口惜しいからと家で着衣の練習をすると語っていたので「慣れない環境で疲れているのだから、練習などせず、まずはわがままを聞いてあげなさい」と諭した。僕が諭したわけではないか。ここで言いたいのは人によってペースというものは違うということですよ。しかしわずか3年程度の人生の1年の差は大きくて30代40代と同列で語れないと反論されたらそれもそうだ。

なつやすみバンドとロマサガ2

タイトルの二つに何かしらの関連があるわけではなく単に昼間なつやすみバンドを聞きながらロマサガ2をやったというだけです。ここ最近暇だったからロマサガ2の実況動画を見ていたのね。もうここのところゲームやるのも面倒くさいと思うようになって。そうしたらやっぱりだんだんとやりたくなって、3DSバーチャルコンソールで800円くらいで売っていたから買いました。ロマサガ2は当時とても難しくてなんとかって水系の魔法を覚えないと最後のボスが倒せないということは知っていたんだけど、最後までたどり着けなかった。なんか、蟻の女王の親玉みたいな体が新幹線の車両みたいになっている敵がなかなか倒せなくて嫌になった。僕はよくある普通のアールピージーが好きだから、ある程度ダメだったら他のところ行きましょうというのがどうしても気持ち悪くて、あと宝箱とか取り残してないかとかすごい不安でだからゲームやるとすぐ攻略本買っちゃう。取り残しの不安って家に鍵をかけ忘れたんじゃないかという不安と通じるものがあると思うんだけど普通の人はかけ忘れてもあまり気にしないのかな? ロマサガ2が売れたってことは。ドラクエも船を手に入れると面倒になるんだよね。どこでも行けるから。


前から広島東洋カープの帽子をかぶった黒人が歩いてきて、「黒人が野球帽かぶったら選手みたいやん」と思って仕事仲間とかにも「今日は試合でないんかw」とか突っ込まれてるかもねーと想像しながら近づいたら黒人ではなく日に焼けたおじいさんだった。痩せ気味のおじいさんの体型は黒人にそっくりだと知った。

同じ名字

同じ名字の人が「トイレを貸してください」と言ってきたので
「そのドアの向こうを右に折れたところですよ」
と教えてあげた そのドアはとても分厚く重いので一切の音を遮断した 同じ名字の人は大きな乗り物に乗ってきたから多少ドアが重くても平気だろうと思った 気がつくとエンジンを入れ帰ってしまった 私の名字はへんのところを大きめに書くとまとまりが良くなったが何にせよ画数が多い


少し前にオギワラさんというのと仕事をしたが何かのようでオギワラさんと書かなければならなくなったがカタカナで書くわけにいかないから漢字で書こうとしたらまったく字が出てこなくて難儀した 女性のスタッフに代わりに書いてほしいと頼んだら「かわいい」と言われてしまった 字が書けないところが子供を彷彿させるからだろう 残りの人生で名前住所以外の文字なんて千も書かないんじゃないかと思う


そういえば会社内にも最近同じ名字の人が入って今日間違って私の方にメールがきたから転送したらインディアンみたいな口調でお礼を言ってよこした 

10代には時間がある

昨日従姉妹と昔にモノポリーをやったことを書いて「時間が有り余っていた」と書いたが今日子供が「パケ死したー」と話すのを聞いてやはりいくらでも時間があるのだなあと思った 私などはたいてい2ギガくらいしか使わないのでパケ死したことはない もとからYouTubeみたいな動画はパケットを食うからと言われていたからそういうのには慎重だった しかし子からしたら物心ついたときからYouTubeはありむしろなければ始まらないといったかんじだ 当然垂れ流しつづけて月の半分もいかないうちに終了となる 友達なんかは50ギガのプランの人もいるらしく誰が負担しているのかは知らないがお金持ちだなあと思う もっとも「なんとかプラン」とかをしょっちゅうやっているからそういうのをうまく活用しているのかもしれない 学割とかもあるし 私は「そういうの調べてみたら?」と子供にアドバイスするがまったくそうしたことをする気配もなくただ「パケ死したー」と騒ぐだけなので「その程度か」とかんじてしまう 大変ガッツのない子・無気力な子に見えてしまうが私も少なくとも若いころ(今も?)はそうだったから「そういうものか」と思うようにしている 私にしたって「キャリアの携帯は高い・二年縛りが終わったら格安シムにしよう」と思いつつ何もしていない 全部が面倒くさい 面倒くさい理由をぜんぶ仕事のせいにできるから大人は楽だ 10代のころは行動を起こせない理由をぜんぶ自分で受け止めるしかなかったからつらかった

突拍子のない暑さ

昨日や一昨日も暑かったらしいがほとんど建物の中にいたからそれほど実感せず帰るころには涼しくなっていてそれでも車の中は暑いから一度は冷房を入れてもすぐに寒くなって切ってしまう 昨夜は雨だった 今日は暑く父と母が車で迎えに来て駅まで行って電車で都内に出た 駅が再開発されていて剥がれた地面に緑のゴムのシートが敷かれた通路を歩いた ロータリーの隅のタバコ屋が跡形もなく消えていた 謎のマッサージ屋も いくつか残った古い建物もあったが消えたところには新しい家が建っていた こんな線路のそばではうるさくないだろうか 私の家は駅から離れているが夜になると踏切の音が聞こえる 気温が下がると音は遠くまで届くのだそうだ 音も光もインターネットも届いたものを処理しているのが本当なのにどれも取りに行っているようにかんじるのは何故だろう 


一年前に死んだ大叔母の一周忌であった ほとんど喋らなかった従姉妹の子が賑やかになって坊主のお経を邪魔した 坊主の内心を思ったがよく考えると葬式や法事に幼児がいることは珍しいことではないのではないか 幼子の声に勝るお経はなし 線香がよく燃えるから全員の手に行き渡らなかった 食事をしてひさしぶりにビールを飲んだら酔っ払ったがその後頭が痛くなった 行きも弱冷房車に乗ったら本当に冷房が弱くて不快で気持ち悪かったが帰りもひどかった 途中まで弟の車で送ってもらったが車に乗るなり父も母も弟も煙草をふかし始め気持ち悪くなった 世の中の禁煙が進んだことでちょっとした煙も不快にかんじるようになった 食事のとき従姉妹の子がずっとヒカキンの歌をうたっていて食事には全く手をつけずに寝た 祖母が自分のぶんの肉をこっちによこしたが私はもうとっくに育ち盛りではなかった 従姉妹とモノポリーをやった話をした そのモノポリーは日本版で取り合う土地は銀座や梅田や横浜だった 当時は時間が有り余っていたんだと思った 肉もたくさん食べていた

今日雨ふるって言ってた?

会社をでるとけっこうざーざーと降っていて驚いた 朝洗濯物を干して家を出たので心配だったが取り込まれていた サンダルで出退勤していたのでつま先が濡れた 帰り道の最初の交差点で雨に濡れるがままの人が突っ立っていたので予報にない雨だったのは間違いなかった

ミルクティーを飲むコツ

午後の紅茶の中で一番好きというかいちばん飲めると思えるのは無糖のやつで次点でレモンティーである とにかくストレートのやつは大して甘くないのに喉の入り口に砂糖が残る罪悪感みたいなのはジュースと同じなので論外である 私はジュースもさほど嫌いではなく夏になれば里山から野に下りてきたみたいにデカビタのペットボトルをごくごく飲む 風邪を引いたらライフガードも飲む やはり甘さが口に残って嫌なかんじはするが炭酸の爽快感で相殺されるかんじだ 爽快感のみ効率よく味わいたくて炭酸水を試したことがあったが砂糖がないならお茶でいいやとなった せめて人工甘味料がほしい でも何にしても食事とジュースは絶対に避けるようになった ちびまる子がご飯と牛乳の組み合わせはナンセンスと主張したがそれを超えるミスマッチで後悔しかない


それで午後ティーの話だが今日家に帰ったら午後ティーのミルクティーがあって「これはパスだな」と思ったが気まぐれを起こして飲んでみたら意外といけた 今までただの泥水だと思っていたが甘さの後のお茶の香りが気持ちよかった ミルクティーに対してはお茶にミルクなんて邪道にもほどがあると思っていたがむしろミルクが主役ととらえ、ミルクのアレンジとしてのお茶ととらえれば心理的なハードルもずいぶん下がった ミルクとはなんにしたってもちゃっとしているのである