意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

小説

外部ストレージをのぞいたら小説があったので載せます 前も載せたかも



よく考えるとマナトとは兄弟ではなかった。異母兄弟ですらなく、異父母兄弟であった。異父母兄弟とはアレだろうか。配偶者が兄弟とかそういうのだろうか。私が訊いても仕方ない。マナトは結婚しているわけではない。ところでマナトとは誰だろう。マナトは昨夜の夢の残滓である。私は生まれた。どこかの国では夢から醒めることを生まれると言うらしい。眠るとは良く死ぬ練習である。生まれたとき私の手の中に残っていたのはマナトという名前のみだ。それ以外は置いてきた。
タマミが起こしにくる。6時20分である。自分で起きられて偉いなと思う。タマミは10歳である。今から一時間後に家を出る。今年から班長である。一般的に班長は11歳や12歳の上級生が行うがタマミの地域には子供がいなかった。斜面が多く土ももろかったから家を建てづらかった。地域では生まれない年が何年かあった。タマミは生まれた年に生まれた。タマミは生まれつき下半身が戦車であるが大切に育てた。幼いころからずっしりしていた。休日に私が寝ているとよく乗り上げてきて、履帯の部分が腕毛を巻き込んだので私は
「いてえ」
と言った。平日は私のほうが早く起きた。私が
「いてえ」
と言うとタマミは悲しそうにした。もしかしたら下半身が戦車であることに劣等感を抱かせないため、私は多少痛くても我慢しなければならないのかもしれないが私はそういう教育は間違っていると思う。

タマミは毎朝トーストを食べるので私はトーストにマーガリンを塗ってから学校へ送り出すと先に回していた洗濯機がとまったのでそれを干して会社へ行った。外へ干すか迷ったが中に干した。下着の周りにタオルを吊して外から見えないようにした。会社へは車で行った。途中で大きな工場ができたので最近右折する車が多い。車間距離から判断するにパートタイムの主婦だろう。交差点は川を渡ってすぐにあった。巨大な箱型の複数のテナントを募集するタイプの工場で遠目には砦のように見えた。天井は高いのだろう。周りは田んぼなので全体がくまなく見えた。稲はすべて刈り取られここ数日の雨で刈り取られたあとから緑色の葉が伸びてきていた。また米がなるのだろうか、とスズメのチュン子は思った。

会社に着いた。

会社に着くと私はすぐにノートPCの電源を入れるがウィンドウズの起動音がやけに空しく響くなと思ったら周囲には誰もいなかった。
私は即座にみんなは煙草を吸いに行ってるんだろうと判断した。この営業所では私以外の人はみんな煙草を吸っていた。事務のササモトさんは吸わなかったがこの人は派遣で先月末に辞めた。営業のショウモトが
「ササモトさんて頼んだらおっぱい触らせてくれそうですよね」
と話していた。私はササモトさんは特に胸が大きい訳じゃないからショウモトの話は脈絡がないと思った。ショウモトは下品だと思った。ササモトさんはバツイチでいつも黒いカーディガンを羽織っていた。夏も羽織っていたから寒がりなんだろうと私は思った。夏はもっと涼しい色だったと記憶する。ササモトさんのブラジャーにワイヤーは入っているのだろうか。

ササモトさんは先月末で辞めたが社会保険の手続きでもう一度くると言っていたが私は営業だからもう会わないだろうと思った。自分なのか社員の社会保険なのかは不明だった。派遣なんだからそんなに出しゃばらなくてもいいのにと思った。ササモトさんの席は空席となったがノートPCはまだ置いてある。傍らにアシカの写真のマウスパットが置いてあったがマウスはなかった。マウスはササモトさんの自前だった。ワイヤレスだったと記憶する。キーボードさばきはさすが派遣と言うだけあって見事だった。一度Excelのウィンドウ枠の固定の解除の仕方がわからなくて訊いたことがあった。やたらとタイトル列の長い表を送られたからである。私は
「2011だからわからなくて」
と言い訳をした。2007ならわかるとでもいいたげだが実際に使いこなしていたのは2003だった。格好つけたかったのである。ササモトさんも少しアイコンをいじりながら操作を確認して教えてくれた。ところでササモトさんは私よりも3歳上の昭和49年生まれであった。そういう話を忘年会のときにした。バツイチであることもそのとき知った。私の話もした。私の娘の下半身が戦車であることを話すと
「私の弟は戦車のプラモデル持ってますよ。ソ連とか」
と教えてくれた。私はそのころはもう気にしなくなったが何年か前まではタマミの下半身のことは話題には出さないようにしていた。下手に話すと相手が気まずそうにするからである。前の会社のときに一緒にお昼を食べた後に散歩をしながら話したら相手は黙ってしまい
「なんかすみません」
と謝ってきた。池袋の哲学堂の前あたりだった。私は「なにがすみませんなんだよ」と思ったが謝る以外に場をつくろいようのない彼も気の毒に感じた。彼は私よりも6歳下でカンボジアに彼女がいた。「もう別れたい」と言っていた。

ササモトさんの言葉で私はタマミの下半身はソ連型かドイツ型かそういえば興味を抱いてこなかったことに気づいた。戦車と一口に言ってもローマ時代からあるのだから色々なバリエーションがあるのだろう。私はタマミの戦車に人間味をかんじた。例えば芸能人で言えば誰それの顔に似てます的なトークをイメージしたのだ。

音楽を纏う

電車通勤になったのでイヤホンを買った Bluetoothである 私はもともと耳の形が悪いのかイヤホンがうまく耳の穴にはまらずぽろっと落ちてしまうのでほとんどつけたことがなかった 大人になってランニングするときに音楽を聞きたくなったので耳にかけるタイプのを買ったらそれは具合が良かった ただしそれでも耳になじまないことがあった 少し経ってからイヤホンもだいぶ進化したと聞いたので買ってみたらどちらかの耳はびっくりするくらいフィットしたがもう片方はダメであった シリコンのサイズを変えられるというので小さめのにしても同じだった 


というわけで耳かけタイプのイヤホンを今回は買った Bluetoothである 電車で聞くので必然的に音は大きくなるが私は大きな音で音楽を聞くのが苦手なので「うるさいな」と思った 一番下の音量とその次の間の音量が欲しかった 自分のすぐ近くで音が鳴るというのは音楽を身にまとったようなかんじがしてまるで宙に浮いているようなかんじがした

あいみょんいいよ

ブログを読んでいたらあいみょんいいよと書いてあって聞いたら良かった ブランキージェットシティっぽく私には感じられた 会社の人に言ったらフォークっぽくてすごく人気なのだそう 名前くらいは知っていたがそんなに人気だとは知らなかった 歌詞に注目される時期が来たのだろう 「生きていたんだよな」を聞くとなぜか涙ぐみそうになる 歌詞をじっくり聞いてみても一体どこに感情が揺さぶられるのかはわからない 死んだ彼女は遠くで何を思うかと歌われるがどうしても死んだ人間は思うことはできないと思ってしまう でも私が涙くむのは現実の話なのである

自分を高めるみたいな呪縛から逃れたい

電車の中吊りに私が卒業した大学の広告が貼られていて重量挙げの女性の引き締まった腹筋に惹かれた 私が卒業して20年近く経つが私がいた頃と様変わりしている 以前行ったときは広場に一本木が植えられている以外はとくに変わっていなかったがそれももう十年前の話である 食堂でカレーを食べた 転職するのに卒業証明書が必要だったのである そこはかつてジャズサークルとかロックサークルが野外ライブを行っていた場所だから木が植えられたらさぞかしじゃまだろうと思った それともそういうことが禁止されてしまったのだろうか


広告には「自分を高める」的なことが書かれていてもういいよと思った 私もそういう意識で生きたこともあったが今思うと恥ずかしい 人間はただ食って死ぬだけなのである

ダンデライオン

雨の中を傘をさして歩いていたら頭の中にブランキージェットシティの「ダンデライオン」が流れてきてしかし口ずさもうにも歌詞が出てこない どうして流れたのかというとPVで子供がいろんなところを歩いていて確かとちゅうで雨が降っていてそこが重なった 歌詞の中にもレインコートに雨粒が落ちてというところがあって私はそこのぶぶんがとても好きだ しかし世の中的にはダンデライオンといえばBUMP OF CHICKENバンプも悪くはないがそこまで入れ込めなかった ダンデライオンも聞いたことがない


しかし時が流れてブランキージェットシティも自分の中でどこか相対化されてしまった節がある

忘れてしまうのは簡単だ

小さなライブハウスの発表会を見に行って私もかつてネット上で小説投稿サークルをやっていたことを思い出した 月に二回の締切を設けて投稿してもらい揃ったらTwitter上で読書会を行う ネットで知り合った人なので顔も声も知らなかった 私の周りにはレズビアンが多かった もちろん直接訊いたわけではないがそういう内容が時おり情報として流れてくるのである 私は私自身に偏見はないとは言い切れないが少なくとも文字だけのやりとりだし何か不都合があるとはどうしても思えないしそもそも興味がなかった そういうスタンスというか雰囲気が相手の警戒心をほぐしたのかもしれない 精神的に不安定な人もいてこっちのツイートに「そういう言い方はやめてほしい」みたいなことを言われその一方的な言い方に私はキレてしまったこともあったがそれでも後から思えばやめておけば良かったと思った インターネットはぶつかり合うより距離をとるほうが余程いいのである と書いたがそれは現実でも同じかもしれない


とにかく今日の発表会を見ながら私は今も昔も誰かの主張に必死に耳を傾けていたことを悟った それは誰かの支えになりたいみたいなことではなく私はそういうふうに声を聞かないと気が済まない性分で極めて利己的なのである そうしてあるときに疲れ切ってしまってサークルもやめてしまったのである 私は常に報われることを望んでいるのだった しかしいつもみんなは知らんぶりだから嫌になってしまうのだった 

うそつき小学生

子供の授業参観にでかけたら国語で「私の一冊」みたいなスピーチを行っていた 私の子供は裁判所がどうこうという本を紹介していた 勉強等に集中したいときに読むのだそう 他の子供たちもめいめいの本をみんなの前で紹介していく 西郷隆盛の本を紹介している男生徒がいて彼は「この本を読めば西郷隆盛の住んでいたところがわかります」と二回も言っていた さらに坂本龍馬桂小五郎も登場するのだそう 考えてみると伝記のうちに当人以外が登場しないものはないと気づかされた


ところでみんな話の最後に「これが私の宝物の一冊です」とか「お気に入りです」とか言っていて私は「嘘つけ」と思った こんなに本が好きな生徒がたくさんいるとは思えない みんなゲームとかアイドルとか球団とかが好きなはずでどうせならそういうお気に入りが聞きたいがそうもいかないのだろう 文部科学省の人もすぐそばにいたし 


私の子供は小学六年生で高学年になると教師の顔色を読んでこういう発表はつまらなくなるが今度は各人の欲みたいなのが出てきてそれは興味深かった 一部の生徒は誰よりも注目されたいらしく養老孟司の「バカの壁」を「人生の指針となる一冊」と言った生徒がいた そういうのが微笑ましくかんじた