意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

鬼滅の刃読んでます

お金がないから少しずつ購入して読んでいる。面白い。呼吸がどうとかというところは、流し読みしている。柱と呼ばれる人たちのキャラがいかにも漫画っぽくてシラケるが、各々倒錯しているかんじが鬼を憎み続けるにはまともな神経じゃやってられないっていう風にもとれて、リアルである。

割と各々のやりとりのとぼけたかんじも好きである。いちばん面白いのは、悪の大将が失敗した部下をなじるシーンである。昔から悪が恐怖で縛るというのはあるが、うまい具合にアップデートされていて、現代のブラック企業感がよく出ている。あるいはカルト宗教か。反抗や愚痴を言う部下よりも、自分に心酔する者を取り立てるなんて、およそ実力主義とは程遠い。ブラック企業ってそんなものなのか。鬼の女の石が悪の大将のことを「臆病者」と評していたが、ブラック企業の大将もそんなものなのかもしれない。本当の実力者とは、相手の実力を認められる人であるというのは、一般論だが現実はなかなかそうはいかないのである。

対して善の親玉は一部の鬼は存在を認めるという提案を頑なに拒否する柱の人を否定せず、現代の教育者というかんじがした。こんな人になりたいものである。私は詰められる鬼の中間管理職の人が不憫に思ったが、一方で心のどこかでゾクゾクっとした。

義務

長男が不登校の時に担任教師が「あなたには学校に来る義務がある」と言ったら「大人の義務であり僕の義務ではない」と言い切った話 https://togetter.com/li/1548212

下の子が春から中学に入って、校則がなんたら、て話を聞いて唖然とした。ソックスや髪をとめるゴムの色を指定するのに何の意味があるのか理解できない。それが決められた頃には、妥当な理由があったのかもしれない。私が子供の頃は「トイレットペーパーは30センチまでしか使わない」という校則はナンセンス、という話題があって、私が実際入学する頃にはそんなのはなかった。でも、多分最初に考えた人は大真面目で、オイルショックとか背景があって、それなりに妥当性はあったのだろう。ソックスや髪留めも同様だろう。しかし、字句だけを一人歩きさせずに、周囲はアップデートさせなければならない。

一方でどうしても文部省の頭が硬くてにわかには変えられない、みたいな大人の事情もあるのかもしれない。さすがに文部省と戦えとは言えないから、仕方ないだろう。だとしたら現場は「まあ適当にやってよ」みたいになるだろう。私はそういう雰囲気は好きだ。


引用元の教師は、単に「義務」という言葉を振りかざすだけで、何ら自分の中に論理を持っているようにはかんじなかった。生徒の「義務とは教育を受けさせる義務であり、教育を受ける義務ではない」という反論を、「口答え」としか評価できていない。教師が上で生徒が下であるという関係に固執し、何の疑いを持っていないのである。本来教育者なら、こんな反論をされたら喜ぶべきである。これだけ自分の考えを言えるのだから、学校へ来ない理由も論理的に述べられるはずであり、相手の欲求や障壁がわかるなら、解決の糸口はあるのである。もちろん、最初の「喜ぶべき」は糸口があるからではないが。

私がもし教師の立場なら、「小賢しい」と思うかもしれないが、そうだとしたら私が立ち向かうのはそう思ってしまう自分なのである。

職場でパートを使っていて、休みがちな人がいて、それを良くないことと思う人がいる。仕事にはもっと誠意を持って取り組むべきというのである。私はそういうのは違うと思っていて、また以前より裁量があるからことあるごとに「休みたきゃ休んでいいよ」と言っている。休むときに申しわけなさそうに理由を述べる人がいるが、私としては「ちょっと気が向かないから休みます」くらい言ってもらいたいのである。そういう私もつい仮病を使って休んでしまうのだからあまり強くは言えないが。

ギブアンドギブ

ギブアンドギブが富とか財力を持っている人にしかできないという記事を読んで、それはビジネスとかはそうかもしれないがそもそもそれは人間関係の話で、だとしたらそうとは限らないと思った。

もちろん私だって誰だって、与えるだけなのはしんどくてテイクが欲しいことはあるけれどそういうときはテイクが得られないことを嘆くよりギブを縮小すればいいのではないかと思う。与えられる範囲で与える。あるいは与えられるけど与えない、というときがあってもいいと思う。それでもテイクは求めないのである。テイクと言っても求めないのはギブに対してのテイクであり、ひょんなことから発生したテイクは拒む必要はない、つまり他人の好意には甘えていいはずなのである。テイクがない、と嘆く人はこの辺がごっちゃになって、施しはいっさい受けません、みたいなスタンスになってしまっているのではないか。全幅の信頼を寄せるなら、むしろ困っているときは助けてくれるだろう、と期待したっていいはずである。そういうときは「当然だ」という顔をして受けるべきである。そうしないと今度こちらから与えるときに相手が躊躇してしまうからである。

あるいは逆に、困っていても手がさしのべられないこともある。そういうときに嘆くのではなく、たまたまそうだった、と潔く諦めるのである。決して絶望して自暴自棄になるのではなく、たまたまそうだった、と思うのである。

そんな風に割り切れないのなら、ギブをしぼるのである。つまり困っている人を無視するのである。

死について2020

月に一度くらいは死ぬのが怖いと思うが、だんだんとある日突然死ぬことになってもそれは仕方ないと思うようになってきた。私には子供がいて、残された子供の心情を察すると気が滅入るが、それでも子供に死なれるより、自分が死ぬ方がずっと楽に思える。死ぬというのは基本的に自分本位な行為だと思う。だから迷惑かけちゃうから自殺できませんというのは、何か違うふうにかんじる。

20歳くらいのときに死ぬことを検討したことがあったが、できないことがわかった。それは勇気とか覚悟の問題かもしれないし、性格の問題かもしれなかった。そのときに「死ねないんじゃ、生きるしかないな」と思って今に至る。「死にたい」となるべく思わないようにした。どうせ死ねないなら、死にたいと思うだけ時間の無駄だからである。その代わり「死んだ方がマシだな」と思うようになった。最近は「死んだら楽なのになあ」と思ったりする。単なる言い換えな気もするが、生きることが前提になっているのである。私は面倒くさがりで、面倒くさがりとは「知りたがり」みたいな「がり」で面倒なことを背負いこみたい性質なのである。そうして面倒なことから逃れたくて死ぬことに憧れるのである。

正月は心ここにあらず

正月も毎年変わり映えしないから飽きてしまった。私は今年は厄年だというので、厄払いをすすめられたが、馬鹿馬鹿しいので断った。それは趣味の問題だと思うから私以外の人が「厄払いせねば!」と意気込むのはいいと思う。お互い干渉しないのがいちばんである。それより屋台で食べたケバブが美味しかった。褐色の肌の人がハイテンションで「大盛にしといたよ!」というから私は「ありがとう」と言った。素手でパンを持つから人によっては嫌がるだろうなと思った。この前職場で豚汁パーティーをしたら、
「私他人がにぎったオニギリ食べられないんです」
という人がいて私はニコニコしながら「OK」と言ったが、当日彼女のところにオニギリを何個も配った。私は彼女のことが好きだから、そういうことをしたくなったのである。

厄払い会場から駐車場までは遠かったので、天気も良く、その間を歩くのは気持ちが良かった。わざわざおみくじなんかしなくても、それが何かを表しているようにも思う。

読まれるかもしれない

カクヨムで小説を書くようになった。そこには読者が二人いて、二人というのは現実の顔見知りの二人でネット上で読む人はいるのかもしれない。とにかく私の書くスタイルはそういう形になった。感想というのはとにかく自分の言ってもらいたいことを待つだけでそれ以外の言葉は聞き流してしまうものである。今はこの二人だけのために書いている。職場の人で、ほぼ毎日顔を合わせている。その人たちの心に、あるいは人生にひっかき傷を与えるように書くのは、ここ数年、得られなかった感覚だ。いいとか悪いとかではなく、新鮮だ。


しかし一方で書くことは制限される。その人たちに嫌われることを避けようとしてしまうからそれが窮屈だ。なので数日前に「近況ノート」というのを書いた。これはなんだかよく分からないがとにかく書いたが特にお知らせはせずに置いといた。そうすると読めないことはないが、気づかれずに残る可能性があるのである。そういうのがヒヤヒヤして楽しい。別になんらきわどいことを書いたわけではないが。

歩道橋(10)

環さんと4日目から連絡がとれなくなった。課長には音信不通の件は伏せ、「風邪をこじらせたようだ」とだけ伝えた。課長は環さんが誰だか、あまりわかっていないようだった。人が多すぎて誰が誰だかわからないのだ。従業員は50人いて、稼働当初予定していた人数の2倍になった。どうしてこんなに人が必要なのか、会社側は全く理解していなかった。ただ、溜まった商品を流すために、薪を火にくべるみたいにどんどん人をとった。私も何度も本社に呼び出されて聞き取りをされたり、レポートを提出させられたが、私自身も工場内で何が起きているのか、わかっていなかった。ただの商品管理に現場監督は無理だったのである。課長は私よりは状況をわかっている風に私に指示を出すが、私はその半分もこなすことができなかった。私はそれについて最初は反省をしていたが、だんだんと課長のほうが無茶苦茶を言っているんだと思うようになった。課長は指示さえ出していれば、自分の仕事は済んだと思っているのだ。

私の精神は当然ながら消耗した。2週間に1度はさばききれなかった商品の受け入れ先を探さなければならなかった。それは他の工場だったり、新たに探し出した倉庫だったりした。他の拠点の工場長が「君はもうよくやったのだから、早く役から降りた方がいい」とアドバイスをくれたことがあった。確かにそうかもしれないと私は思った。高田馬場に通っていたときのことを繰り返してはいけない。私は仕事がしんどくて、昼休みによく神社の石段に腰かけて泣いていた。今は泣きはしないが、夜の公園のブランコに腰かけて辺りを眺めたりした。S区の公園にはプールがあって、もう少ししたらそこで泳ぐ子供の姿が見られるのだろう。季節は6月だった。私は翌日メモの切れ端に自分のIDを書いて、環さんに渡した。返事がくるまでに何日かかかり、私はその間絶望的な気持ちだったのは言うまでもない。諦めかけた頃にメッセージがきて、そこには「やっと子供に設定してもらえました」とあった。彼女はSNSに疎いのだ。

私は早速昼間課長に言われたことを伝え、ちょっと仕事を辞めることを考えていると伝えた。
「そうですか......。そんなにしんどいのなら、仕方ないかもですね」
「ごめんなさい」
「じゃあ、わたしもやめます」
「いや、環さんは残ってよ」
「イヤです。福園さんがいなきゃ、つまんないもん」
「もっとちゃんとした人が来ますよ」
「そんなの辞めるあなたには関係ないでしょう?」
「そうだけど。でもやめられたら後味悪いっていうか」
「福園さん、それはわたしも同じです。少しはわたしの気持ちも考えてよ」
気持ちを考えてほしいのはこっちなんだけど、と思ったが黙っていることにした。
「じゃあ、あと1週間くらいがんばります」
「良かった。応援しますよ。課長なんかに負けないで」
「敵ではないけどね」
「わたし、あの人苦手。話しているときベロ出すんだもん。いやらしい」
なんだか真面目に話しているのも馬鹿らしくなってきたが、私の心はいくらか軽くなっていた。それから私は帰り道に頻繁にLINEをするようになった。だいたいは私の愚痴だが、たまに環さんの愚痴だったり、あるいは職場の改善提案がなされたりした。

環さんと連絡がとれなくなって以降、LINEも既読にはならなかった。