意味をあたえる

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義務

長男が不登校の時に担任教師が「あなたには学校に来る義務がある」と言ったら「大人の義務であり僕の義務ではない」と言い切った話 https://togetter.com/li/1548212

下の子が春から中学に入って、校則がなんたら、て話を聞いて唖然とした。ソックスや髪をとめるゴムの色を指定するのに何の意味があるのか理解できない。それが決められた頃には、妥当な理由があったのかもしれない。私が子供の頃は「トイレットペーパーは30センチまでしか使わない」という校則はナンセンス、という話題があって、私が実際入学する頃にはそんなのはなかった。でも、多分最初に考えた人は大真面目で、オイルショックとか背景があって、それなりに妥当性はあったのだろう。ソックスや髪留めも同様だろう。しかし、字句だけを一人歩きさせずに、周囲はアップデートさせなければならない。

一方でどうしても文部省の頭が硬くてにわかには変えられない、みたいな大人の事情もあるのかもしれない。さすがに文部省と戦えとは言えないから、仕方ないだろう。だとしたら現場は「まあ適当にやってよ」みたいになるだろう。私はそういう雰囲気は好きだ。


引用元の教師は、単に「義務」という言葉を振りかざすだけで、何ら自分の中に論理を持っているようにはかんじなかった。生徒の「義務とは教育を受けさせる義務であり、教育を受ける義務ではない」という反論を、「口答え」としか評価できていない。教師が上で生徒が下であるという関係に固執し、何の疑いを持っていないのである。本来教育者なら、こんな反論をされたら喜ぶべきである。これだけ自分の考えを言えるのだから、学校へ来ない理由も論理的に述べられるはずであり、相手の欲求や障壁がわかるなら、解決の糸口はあるのである。もちろん、最初の「喜ぶべき」は糸口があるからではないが。

私がもし教師の立場なら、「小賢しい」と思うかもしれないが、そうだとしたら私が立ち向かうのはそう思ってしまう自分なのである。

職場でパートを使っていて、休みがちな人がいて、それを良くないことと思う人がいる。仕事にはもっと誠意を持って取り組むべきというのである。私はそういうのは違うと思っていて、また以前より裁量があるからことあるごとに「休みたきゃ休んでいいよ」と言っている。休むときに申しわけなさそうに理由を述べる人がいるが、私としては「ちょっと気が向かないから休みます」くらい言ってもらいたいのである。そういう私もつい仮病を使って休んでしまうのだからあまり強くは言えないが。