しかし実のところそれは再放送ではない。それは例えばこういう風にまた一から書いているのだから、厳密に同じことを書くのは不可能だし、たとえ書いてあることの趣旨は同じであっても文体は異なり、また時間も置いてあるから、見方によれば前回よりも拡張しているのではないか、という意味ではなく、物理的に新しいことだ。なぜならそれは今朝の出来事だからだ。
今朝の出来事なのに、再放送、と言ってしまう意味も、私にはきちんと説明できない。ただ、なんとなく「以前も書いた」という感じがしただけの話で、しかし、確かに「これから書くことは以前も書いた」という強い予感(?)があった。
私はいつものように朝6時すぎに起き、隣のネモちゃんを起こしたが、今朝はどういうわけか先に下に降りてくれと言われたので降りて、居間のテレビをつけてチャンネルをEテレに合わせた。ネモちゃんの眠気を速やかに覚ますためである。さっき台所を通過したときにテーブルの上に目をやると、食パンの8枚切りが置いてあり、朝食については、ネモちゃんはパンがあればパンがいいと言うので、パンを焼こうかと思うが、念のため本人に確認してから焼こうと思う。ちなみにネモちゃんはバター先塗り派であり、細かく言えばバターではなくマーガリンだ。さらにトースターはおそらく1年くらい前に、誰かの結婚式の引き出物のカタログギフトで手に入れたもので、それ以前我が家にはトースターはなかった。パンを焼くときには電子レンジを使用していた。電子レンジのトースター機能は、ものすごく時間がかかり、私はこういう部分についてはものすごくせっかちなので、待ちきれず、いつもただの「あたため」で済ましてしまう。そうするとパンは△△みたいにふにゃふにゃになり、だからトースターがやってきて、結婚以来ひさしぶりにトースターでカリッと焼いたパンを食べたときには、懐かしさで涙ぐみそうになった。先ほどの△△については、ちょうどいい比喩が思いつかなかったので、記号でごまかしたので、各人で適当なイメージを入れてください。
それで、電子レンジについては、私がこの家にやってきてから2個目で、1個目はあるとき壊れたから2個目になったわけだが、どういうわけか我が家には電子レンジの買い置き、があり、押入れの奥からダンボールを義父が取り出し、あっという間に電子レンジは代替わりをした。しかし、どこの家にも電子レンジの買い置きはあるのだろうか? 2代目の電子レンジは、白黒の画面上に線で描かれたシェフが吹き出しであと何秒で終わるかを教えてくれ、残り5秒から数字が1秒ずつ白黒反転して私はそれを見て結構古い機種なんだな、と思った。
そして壊れた1代目だが、義父は△△さんにあげると言って、一階の掃き出し窓から裸足のままレンジを抱えてサンダルを履き、何処かへ出かけて行った。我が家は玄関が道路に面していないから、義父なんかはこの窓から出入りすることが多い。電子レンジはこの窓のすぐそばにあり、その向こうは順番に冷蔵庫、食器棚、と続く。トースターは窓からはいちばん遠く、階段のすぐそばにある。トースターの棚の下の段は、何を置くコーナーかははっきり決まってはいないが、よくみんなは病院でもらった薬とかを入れる。ここ1週間くらいネモちゃんは風邪気味で、もう2回も病院へ行っているのだ。
それでネモちゃんは咳をしながら階段を下りてきて、私が「パンにする?」と聞くとうなづくから、私はバター(マーガリン)を塗ってパンを焼いてやり、その間に私は毎朝納豆を食べるから、納豆を冷蔵庫から取り出した。電子レンジの出番はない。電子レンジの下はゴミ箱になっていて、手前の箱がビニールゴミ、奥が紙類と決まっていた。ネモちゃんは数年前まではこの区別がつかなかった。
それでパンを食べてネモちゃんは家を出て、私も班の集合場所について行くが、今日は雨が降っていたから私たちは2人とも傘を差していた。そして、ネモちゃんの歩く速度がのろいから、自然と前後に並んで歩く格好となり、私が
「これじゃ2人の班みたいだ」
と言うと、ネモちゃんは嬉しそうだった。私が先頭だから、私が班長で、ネモちゃんは最後尾だから、副班長となる。集合場所までは坂道が続き、坂を登り切ると交差点があって、ゴミ捨て場がある。その前が集合場所だ。坂は途中でカーブしていて、その路面には最近では車に潰されたカマキリがいたが、今日は雨のせいか全くいなかった。あるいは、私たちは「班ごっこ」に夢中になって、気づかなかったのかもしれない。道路のガードレールの向こうには木が生い茂っていて、そこには沢山の蜘蛛が巣を作っていて、雨でその幾つかは壊れるだろうと予想したが、壊れている巣は一つもなかった。それどころか、アブのような、羽根のついた虫が巣にかかり、大きな餌にありついている蜘蛛もいた。蜘蛛は大きな餌にありついたからといって、蜘蛛自体が大きくなるわけでもなかった。
やがてゴミ捨て場の前についた私たちは、その前に交差点があったから、班長の私は、先に道路に立って、副班長を誘導しようと思ったが、もうその頃にはネモちゃんはこの遊びには飽きていて、勝手に道路を渡ってきた。
その後に交通安全のおじさんがやってきて、私は一応大人だから
「おはようございます」
と挨拶をし、ここまで来るのに、今日は雨のせいか1人しかいなかったが、すれ違う人には挨拶をするようにしている。ただし、若い人は無視してしまうこともある。学生はまず無視だ。学生の自転車は、怖いもの知らずで危ない。微妙なのは犬の散歩をしている人で、明らかにこの辺の人じゃないから、迷ってしまうが、犬がこっちに寄ってきたら挨拶をする。
それで、ゴミ捨て場の前で私が挨拶した後に、ネモちゃんも小声で
「おはようございます」
と挨拶をしていたから、私は嬉しかった。私は今まで、少なくとも小学生になってからは子供に挨拶をしろと言ったことはなく、挨拶をしろと言って挨拶させたのでは、それは挨拶にはならないと思ったからである。挨拶をしろと言われて挨拶するのは、単に媚びているだけである。この前「マルモのおきてスペシャル」が放映されていて、相変わらず子供達は元気でハキハキしていたが、あんな子供が身近にいたら、気持ち悪くて仕方がない。私は自分が子供だったときのことは少しは覚えているし、実際に2人子供がいるから、子供は別に自分では子供だとは思っていないことを理解しているが、そういうのがわからなくなってしまっている人がいたら、あのドラマを観て、子供というものを誤解してしまいそうで、私はそのことが心配だ。日本の少子化だとか、子を持つ親に優しくない社会の原因とは、こういう誤解が生み出しているのではないか? と思う。
それと挨拶もそうだが、子供が悪いことをしたときに謝らせようとする大人も、理解できない。今回のマルモのおきてでも、またトモキに無理に謝らせるシーンがあった。トモキは「俺は悪くない」とかたくなに謝罪を拒否するが、これもリアルではなく、実際、大人があんなに必死になったら、子供は場をおさめるために、謝るだろう。または、場をおさめるために、泣くだろう。悪いことをしたら謝ることを教える、という主張らしいが、その子供は自分の行為を悪いと自覚しているのだろうか?
これは私の実体験だが、ネモちゃんが2歳とかのときに、妻の友人の手をオモチャのカートで轢いた。それは今朝ネモちゃんがパンを食べたところでもある。友人は別に怪我はしなかったが、謝りなさい、と言ってネモちゃんの肩を揺すった。私はとても不愉快だった。友人の手を轢いた車は赤い色で、タイヤは黒のブラスちっく製だった。ボディもプラスチックだった。今はもうない。