意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

ネットは無責任(追記あり)

※私はまた、他のブログで読んで思ったことを書こうと思うが、そのブログがなんであったか忘れてしまったので、「それはわたしのブログですよ」と気づいたらコメントでもなんでも送ってくれれば追記します。

 
それはYahoo知恵袋を見ていたときのこと。質問主が、障害を持った人と恋人同士で結婚を考えているが親や友達に反対されているが、やめるべき? という質問で、そうしたらかえってくる返事、かえってくる返事が
「別れるべき」
との趣旨で、質問主も
「別れるのが正解かあ」
と思い始め、紹介したブログ主さんは、「そりゃないよ」と思ったのである。私も同意する。
 
私はかつて、友達の友達で、顔見知りくらいの人があるとき結婚しようとしたは相手は被差別部落の人だから、親から反対され、婚約を解消したという話を聞いたときに、激しく憤慨したことがある。体に障害がある人と、出自で差別する人を混同するのはおかしい、と思われる方もおられるかもしれないが、私の中では同じことである。本人たちさえ良ければ、別になんでもいいんじゃないか。
 
私はむしろ、「障害者との結婚は苦労が絶えないから×」という考えがあるが、逆にどうして健常者同士の結婚には苦労がない、あるいは苦労が小さい、となってしまうのかが不思議である。私は一応結婚しているから言えるけど、相手は健常者だが、後悔もするし苦労もするし惨めだし、地獄のように感じることもある。私の結婚についてもちょっとした事情があり、ここでは書かないけど結婚するときには父親に、
「お前も楽じゃない道を選ぶなあ」
と言われたから、楽じゃないのかもしれない。しかし後悔とか地獄はたとえ結婚しなくても同じだし、私は他にも色んなことで後悔しているが、それもやはり自分の資産の一部だと思っている。つらかったら逃げるのも正解だが、つらさと付き合って行くうちに、今まで見えなかった景色が見えるようになって、それまでできなかった物事に対する見方考え方ができるようになるから、辛いことや後悔は、必ずしもマイナスにならないのである。私は人生においては、幸福よりも不幸の方がずっと重要で価値があるものだと思っている。
 
と、調子のいいことを書いたところで、
「じゃああなたが親の立場ならどうするんですか?」
と聞かれそうで、私にも子供がいるから考えるけど、それは実際起きてみるまでわからない。苦労が目に見えているから反対するかもしれない。上記の理屈で賛成したくても、妻が反対するから反対、となるかもしれない。私は未来の自分を信用できないのだ。
 
それじゃあ無責任だ、と思われるかもしれないが、ネットだからいいじゃん、と思う。知恵袋の人は顔も知らない赤の他人なんだから、その人が私のアドバイスを鵜呑みにして結婚して不幸になっても、私には関係はない。
 
ちなみに私の友達が、あるとき車椅子の彼女、彼氏を連れてきて、
「結婚したい」
と言ったら、迷うことなく賛成して、祝福するつもりである。それもやはり、友達は他人だからである。
 
私は親身になる、とかそういうのが単なる自己満足としか思えないからだ。
 
追記:


障害者カップルを応援してくれる人はいないの? - ましろ blog

 

私は昼休みに上記のことを書き、それは普段よりも書くことに時間のかかる記事となったが、ほどなくして「それはわたしの記事では?」と教えてくれたので、リンクを貼らせていただく。しかし、仕事中だったので、すぐにその作業ができず、しかもiPhoneで確認しようとすると、なかなか目的のページにたどり着かないので、家に帰ってから、晩御飯を食べ、晩御飯はカルボナーラで、カルボナーラのホワイトソースはフォークに必要以上に絡みついたので、自然と私のひとくちは大きくなった。そして、PCを立ち上げて今に至る。

 

リンク先を読めばわかるが、Yahoo!知恵袋、と書いてなく、私の勝手な決め付けであった。だから違うサイトなのかもしれないので、しかし、知恵袋を含む質問サイトと、私は解釈した。が、そういう解釈を、心に留めないでここに書いてしまうのは、やはり問題なのかもしれない。