意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

長い2

私は先ほど書いた後に前後関係について思い出したので、続きを書くことにする。

つまり、私はブログを書いていてある地点までくると、
「長い」
と思うことがあり、そう思うと、急にこれを読んだ人はこの文章は長いと感じ、読むのが嫌になってしまうのではないかと、不安になってしまうのだ。私は読み手を特に意識せずに書いているつもりだったのだが、そんなのやはりウソで、意識せずに書きたいと思うが、そう思うことこそ、意識の表れなのである。

しかし、長くて読むのが嫌になっちゃう文章が、必ずしも悪いとは限らない。私が購読しているブログでも、とても長い文章を書く人がいて、いつも途中で読むのをやめてしまうのだが、私は読んでいる途中はとても面白いと思っている。もちろん時間があれば最後まで読みたいと思うが、他のブログも読みたいし、その人自身もとても熱心に更新されるから、読み終わる前に次が来て、今度はそれを読み始めるのである。そんな風に読んでます、と言ったら不愉快に思われるかもしれないが、途中まででもじゅうぶん面白いのである。

ところでその人の文章は淡々と日常の出来事をつづっていて、私はやはり日記というか、日誌のような文章が好きなんだということに改めて気づいた。無味乾燥で私情を挟まないなのが好みなのである。それなら、説明書でも読めばいいと言われそうだが、私は実際説明書の類は熱心に読むのである。今はなんでもCDとかWEBサイトになってしまったから、画面に出る文字というのはなんというか、最初から最後まで読むと損をした気になるというか、目的の語を効率良く拾い上げて情報収集するような、どこかプレッシャーをあたえてくる文字なので、やはりじっくり読むにはそぐわない。

だから小学校や中学校の時、私は熱心にゲームをやる子供だったが、新しいゲームを始めるときは、必ず説明書を一読した。私の住んでいた家は、両親の寝室がゲーム部屋だったのだが、説明書を読むときは、茶の間の父の座椅子に体育座りして読んだ。するとそれはファイナルファンタジーⅴというゲームをしていたときの話だが、友達連中は買ったその日に火のオーブまで進んだのに、私は水のオーブが精一杯だったのである。

さらにこれは現在の話だが、私はプロ野球の結果を見るのが好きである。私が毎晩歯磨きするころに、義母がNHKのニュースを見ていたらちょうどプロ野球ニュースになり、そこでスコアボードが出て、両チームの継投だとか、誰がホームランを打ったとか出てくるのが好きなのである。ちなみに誰もホームランを打たないときは、表示ごと全部消せばいいのに、[本]と一文字がぽつんと表示され、その物悲しい感じが私は好きなのだ。

サッカーに関しても同じで、海外サッカーの誰それがゴールを決めたとか、そういうニュースを聞くのが、実際の試合の映像を見るよりも好きなのである。試合のほうは、日本代表とかよく見るが、後半くらいでネモちゃんを風呂に入れなければならなくなり、妻が入れるからいいよ、と言っても、なんかそこまでして見たくもないしなーと思ってテレビを消してしまうのである。