意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

長い

私はブログを書いている。書いていて、昼間書いていた記事の時もそうだが、どこかの地点で、
「これは長いな」
と思うときがある。私はこの地点について思い当たる節があり、それは私は20代前半くらいまではノートに文章を書いていて、それを何人かの友達に読ませていた。「何人かの」と書くと、誤解を生みそうなので正確に書くと2人である。その2人には、そのころ私は漫画なども書いていたので見せていた。あるときどういう経緯なのかは忘れたが、その2人とそれ以外の1人と私の家でお酒を飲んだことがあり、酒に酔った私はその私の漫画を読んだことのない1人に、私の漫画を読んでもらおうと、机の引き出しに手を伸ばした。すると、私の意図に気づいた読んだことのあるほうの1人が
「やめとけって」
と激しく止めてきた。私が酔っ払って引き出しに手を伸ばしたと思ったのだろう。しかし私は酔ってはいたが、自分の行動をきちんと把握していたし、今でもこうして覚えていて文章にしている。後悔も特にない。その友達も最後まで読んで、一言二言感想を言って、飲み会は終わった。

話がそれたが、私はそのときノートに文章を書いていると書いたが、ノートの短所は1ページが目に見えてしまうので、その最後の行で一段落させようという思いが働いて、実際は最後の行まで行くことはそんなにないのだが、だいたいいつもそのサイズで書こうと意識してしまう。私はそれは大変良くない癖だと思う。やはり書きたいところまで書き切って、終わり、というのが理想である。逆に私は書くことが短いとサボってしまっている気がしてしまって、ついつい頑張ってしまうのだが、これも良くないだろう。つまり私が必要なのは1行2行で終わらせる勇気だ。

ところで私はまるで、ノートに1ページ分の感覚が身についているような書き方をしてしまったが、これは嘘だ。嘘、というか、感覚は確かにあるがあてにはならない、という意味だ。というのも、私はいつもこの文章をiPhoneで書いているが、たまにパソコンで見ると、自分の文章が実に短く見えてしまい、やはり私は周りからサボっていると思われているのではないかと、不安になってしまうのである。

私はこの後も書くことがあったが、このまま書くと前後関係が不自然になりそうに感じたので、一旦区切る。

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