意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

ブログを長続きさせるコツ2

特に続きを書くつもりはなかったのだが、このブログは今年の5月に始めて、できるだけ毎日更新するようにしたいと思い、そう思った理由は私の友達がもう10年とかそれくらい前、もしかしたら10年にも満たないのかもしれないが、とにかく毎日ブログを書き続け、中断したときもあったのかもしれないが、今も続けている。

当時の私はそういうことの価値はわからなくて、本音を言えば今もわからなくて、私は量よりも質という考えで例えば文章を書いたときもあったが、それら必ず下書きをしたら一晩置いて、きちんと推敲するというやり方だった。しかし、量よりも質、という考えの「質」とは多くの場合ただの自己満足になってしまうような気がする。こだわりとか、クオリティとか、言い方は色々あるけれど、そういうのを本当に言葉のイメージ通りに実行できる人は、ほとんどいないんじゃないかと思う。

例え話として、小学校時代の記憶を引用するが、ちょっと反抗的なクラスメートがいて、その人の家は片親で家も平屋で母親は他人の家の子でも平気で怒鳴るような親で、色々おかしかったのだが、その人は絵がとても上手く、隣町かどこかの展覧会にも出品されるほどの腕前で、ただし絵を書くスピードはとても遅く、私からしたらサボってるんじゃないかと思うくらいのスピードで、例えば私たちが絵を仕上げて次の焼き物の授業に移っても、その人だけは相変わらず窓際で過敏に一輪挿しの絵を書き続けていた。どうして先生が怒らないのかが不思議だったが、先生もちょっと変わった人で、楽しければなんでもいいという感じの人で、私は今書きながらちょっと涙ぐんでしまったが、そういう人こそ教師にふさわしいし、日本にもっとそういう先生が増えたらいいと思う。私の書き方が足りなくて、全然魅力が伝わらないが、要するに自由なのだ。風景画を書いているときに、怪獣とか書いても怒らなくて、もっとそういうのを書け、と言ってくれた。私は怪獣とかは特に興味はなかったので、代わりに想像で、新宿にその当時新しくできた都庁の絵を書いた。しかしそれだけではただのビルなので「都庁」とわざわざ看板まで取り付けた。それからこれはまた別の絵のときの話だが、クラス全員の絵を廊下の壁に貼ったときに、どの絵も褒める箇所がひとつ以上ある、と言ってくれ、私はもうその当時は絵は嫌いだったから褒める箇所はないと思ったら「進藤の絵は花がひとつひとつ細かく描かれていて素晴らしい」と言ってくれて、確かに私は馬鹿みたいに細かく書いていて、しかしそれが特長とは言われるまで全く思わなかった。

話は戻るが、そういえばこの学校のエピソードは単なる例え話だったが、例え話とか、脇役みたいな話がどんどん広がっていくのは、すごく有機的でよろしい。それで、周りを無視して絵を書き続けた少年だが、こういうのがこだわりとか言われるもので、やはりこだわるというのは、普通ではないのだ。私が文章を一晩寝かせて推敲しました、と言ったところで、それはせいぜい休み時間にはみ出して仕上げた、という程度のもので、誤字が一つ減りました、主語と述語がちゃんと対応しました、とかその程度のものでしかない。もちろんそういうのも大事だろうが、究極の選択みたくして、文法20点、内容120点、とその逆だったら、内容120点取りますよね? というか、文法はどんなにがんばっても100点な気もするが。

それと最近は推敲という行為にも懐疑的で、例えば話に関係ないところだとか、余計なところをそぎ落としたりするが、そういうところがいちばん美味しいのではないか、と思うようになってきた。文章にも成果主義みたいな波がやってきて、読みやすい文章にすごい価値が置かれているような風潮だけど、読みやすい文章は読むスピードがどんどん加速して、読み終わっても、何が書いてあったかよくわかっていないことが多い。前に読んだ雑誌で、新人賞の選評を読んでいたら、やはり「読みやすくて物足りない」というのがあって、多分プロの人も読み手の書くスピードをコントロールするために、わざと読みづらくさせたり、という人もいるのだろう。

しかし私はそういう風にテクニックとして行うのにもなんか抵抗があり、やはり理想は直感で書くというか、無意識を引っ張り出すというか、例えば他の人のブログで、よく昨晩見た夢の話を書かれている人が何人もいて、私はそれがとても面白いと思っていて、ハズレがなくて不思議なくらい面白い。書いている人もたぶんその面白さを自覚しているはずで、そうでなければこんなに読めるはずはない。しかし、それはあくまで「夢」というカテゴリーだから許されることだから、みたいな雰囲気が伝わってきて、それ以外の日記とか、普段の文章では、そういう自由さは全く影をひそめる。私もやっぱり、現実を夢のように書くのは一筋縄ではいかないな、と思うこと多いが少なくとも夢だろうが現実だろうが、同じように書きたいと思っているし、夢を夢たらしめているもの、現実を現実たらしめているものは、文体とか書き方の問題で、決して内容ではない気がする。

ブログを長く続けるコツは以上です。