意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

こんな風なのがよい

昔、私のドラムの先生がハヤカワのSFなんとか文庫というのがあって、それがとにかくマイナーなレーベルらしく、
「俺が買ってやらないと、いつなくなってもおかしくないレーベルなんだよ、だから買ってる」
という風に言っていて、なんか今朝脈略もなくそんなことを思い出し、何かしらの脈略はあったのだろうが忘れた。そして、そういうのがいいと思った。

そして、私は毎日この「意味をあたえる」というブログを更新しているが、読んでくださる人がいて、そういう人が
「俺(わたし)が読んでやらなけりゃ、こんな読みづらいブログ、誰も読まないよ」
とか思ってくれればいいな、と思い、そう思われるようなことを書こうと思った。しかし思ったって書けるもんじゃない。思ったことを書いているわけじゃないから。

ところで、先生は「俺が買い支えてやらなきゃ」と思ったわけだが、そう思っている人はおそらく全国に700人とか1000人いて、そういう人がいることは先生もわかっているはずで、わかっていなければ、ひとりが買ったって海水に砂糖をまぶすような行為だから、意味はないとやめるだろう。だから、そういう話じゃないんなよ、と当人が言ったとしても、やはりどこかのレベルでは理解している。

あまり関係ないかもしれないが、私は以前漫画を書いていて、そのときの読者は2人だった。それであるとき私の家に何人かが泊まることになり、酒を飲み、その中には読者の2人もいたが、そうじゃない人もいた。酔いがまわった私は、そこは私の部屋だったのでとうぜん家具や机も私の所有物であるから、机の引き出しを開け、それは椅子に座ったときに膝の上にくる横長の引き出しで、私はそこにノートをしまったりしていた。
「ちょっと、俺漫画書いてるんだけど、読んでみない?」
と、私は読者じゃない人に読ませようとしたら、読者のほうのひとりが、ものすごい勢いで、
「やめろ」
と止めてきた。私が酔った勢いで読ませようとしている風にとったのかもしれない。たしかに私は酔っていたのかもしれないが、その相手が、たとえ私の漫画に悪い印象を持ったとしても、ノートをびりびりに破くタイプではないことはわかっていた。だから、私は
「大丈夫、大丈夫」
と読者のほうの友人をなだめて、読者じゃない方に読んでもらった。大した感想は聞けなかった。