私は昨年の5月からブログを続けているが、ふとその間風邪やひどい体調不良になっていないことに気づいた。私は子供の頃は小児喘息を患っており、就学前はしょっちゅう入院をして妹に迷惑をかけた。私が入院したら母が付き添わなければならず、そうすると妹の面倒を父が見なければならなかったが、激しく拒否されたので父は自分の母親を頼るしかなかった。妹からすれば祖母である。祖母も性別は女だから、女同士話が合うだろうと父は踏んだのである。そういった出来事を通じて、父は長い間妹に対して強く出れないところがあった。私やその後生まれてくる弟に対しては、割と感情にまかせて怒鳴られることもあったが、妹が父に怒られる場面はそういえば見たことがない。それを私は長い間異性だからそうなのだろうと判断し、特にアンフェアとか思ったりしなかったが、話を聞いていくとどうやら私と母の不在のあいだに、父は妹に苦手意識を持ってしまったのだ。妹は高校進学の際は保育科に進むことを宣言したが、父はそれに反対し、妹は結局普通科に行ったが、そのときも2人はかなり対等にケンカをしていた。私はもちろん言うべきときは自分の意見を言うが、それだって父用にパッケージされた言葉を選んで、反応を十分に吟味し、最終的な目的達成のために、途中はあえて華を持たせる的な、交渉的なやりかただった。そういうのが今でも生きていて、実は私はケンカの仲裁が結構うまい。昔弟と父がケンカをしたときも(しかしケンカばかりの一家である)私は弟に、
「もし父の言動が理不尽であると感じるなら、それを忘れずに将来子供ができたときに、そのようにしなければ良い」
と言い聞かせ、やがて弟は矛をおさめた。その様子を見ていた母が
「ユウジは兄の言うことばかり聞いてずるいな」
と珍しく感情的になった。
しかしこの「反面教師(実際の意味は違うらしいが、我が家ではこういうのを反面教師と呼んだ)」は私たち一家では割とポピュラーな考え方で、父はよく、
「間違っていると思ったら反面教師にしてくれ」
と私たちに言った。先日も私が半ば冗談で
「私の親は私たちが子供の頃どこにも遊びに連れて行ってくれなかった」
と謝罪を求めると素直にそれに応じ、
「しかしもう大人なんだから、行きたいところがあるなら自分の足で行けばいい。あなたは自由だ」
と言い、父らしい言動だ、と私は思った。
それで私は子供のころは体が弱かったが大人になるといくらか強くなったが、それでもいくらか弱く、たまには会社を休む。昔小説を書き上げたとたんに胃が食べ物を受け付けなくなって三日くらい会社を休み、昭和の大文豪のような気持ちを味わった。しかしその小説が特別おもしろい訳ではなかった。
私は今のところ連日更新を続けているが、それが途切れるときがくるなら、それは病気によるものだろうと思っていて、しかしまだ途切れていないから私は健康だ。例えばインフルエンザ程度なら、ブログというのは頭と指先さえはっきり動けばいくらでも書けるものだから、熱でおかしければ、普段と違うものの見方ができて面白そうくらいに思っているが、高熱の中ものを書いた記憶はない。それよりも20代の頃、まれに頭がかち割れるくらいに痛むことが何度かあって、それは最初視界が霞んで、やがて激しい頭痛におそわれるのだが、本当に痛くて、もう寝るしかないという感じだ。早く意識を失ってやり過ごしたいという感じなので、そういうときはおそらくブログの更新など無理だろう。最近になって、頭痛から命を落とすというのをネットで見て、今更私は震え上がっているが、もしかしたら無知が私を救ったのではないか、と思うぶぶんもある。それに、私は一度その症状の時に病院にかかったら、
「風邪ですね」
とあっさり言われ、ぜってー違うだろ、とそのとき医者の首を絞めたい気持ちにかられたが、困ったことに処方された薬を飲んだら全快してしまい、それ依頼痛むこともない。たまには歯医者などでロキソニンを処方されるが、飲んだ試しがなくバッグにしまったままだ。私は健康だ。