意味をあたえる

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初夢2016/Nexus フォント

初夢を一昨日くらいに見て、さっそく記事にしようとしたが、先にNexusに乗り換えた記事を書いていたら、書く気力がなくなりました。途中で
「いいやー」
と思うところまで書くのが私のスタイルなのです。そういういい加減な書き方をやめ、もっと読んでくれる人のことを考えなよ、と思う人もいるかもしれませんが、そういう人はあまり私のブログを読まない人だと推測する。私のブログをよく読む人は大抵
「まだ続くのかよ、長いなあ」
と思っているので、私が筆を放ると、実はほっとするのである。だから私は大変読者思いなのです。

ところでNexusに乗り換え、こうして文字をつづるとどうやら今までとフォントが違うことに気づいた。iPhoneからDIGNOに機種変したときはそういうことに頓着せずごりごり書いていたから、Nexusのフォントはかなり特徴的なのではないか。ちなみにDIGNOは買ってすぐに電車に乗る機会があって、なんかそこでごりごり書いた気がする。駅を出ると猫がいて、案外人なつっこい猫で同僚が、
「にゃんこ」
と言って可愛がった。私からしたら「にゃんこ?」という感じだったが、私は動物の類を飼ったことがないからこの辺の機微がわからなかった。義妹夫婦などからは正月に
「動物とか飼ったことがありそう」
と言われたが、そういう風に言われると飼ったことがあるのに私が忘れているだけのような気もしたが、私は小児喘息だったから確実に飼えなかった。動物の毛とかが気管に良くないのである。すると今度は
「喘息は治ったの?」
と訊かれこれに答えるのはとても難しかった。なぜなら私はおそらく20年くらいは発作を起こしていないが、病院からはっきりと「全快した」と言われたわけではないから、治ったとは言いづらい。そもそも「小児」だから大人になった時点で卒業なのかもしれない。発作さえ起きなければ病院には用はないので、一体最後に病院に行ったのがいつなのか、見当もつかない。薬だけもらいに、母がひとりで行くことも多かった。途中に線路を越える陸橋があって、母はよくそこでエンストした。私が子供の頃はオートマはまだまだ一般的ではなかったのである。エンストすると車内はとても静かになって、焦る母の様子が強調される。そういえば前に読んだ村上春樹のエッセイで、飛行機が飛行中にエンストする話があった。

私はここまで書きながらNexusのフォントに注目していたが、「さ」の下の曲線がちょっとクドいのである。「さ」の曲線はそこだけ注目するとニヒルな人の含み笑いのように見えるが、Nexusの場合は上に行き過ぎて口が裂けてしまっているように見える。幼児向けの漫画等にこの手の口はよく出てくる。幼児はまだまだ人の表情を読む力が発達していないから、かなり表情を強調しないと、感情が伝わらないのである。

また初夢について書けなかった。