意味をあたえる

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課題の切り分け

アドラーの100分で名著の中で、女子高生が心理学者に進路の相談にくる場面があって、その心理学者の話によって、アドラーのロジックを知るという番組の主旨だが、女子高生がまったく女子高生らしくなくて見ていて困った。困った、というのとは違うのかもしれないが。そのとにかく女子高生が本人は将来画家になりたいと言って、わざとらしくよく設計士がやるような、肩から下げるバズーカみたいなのを肩から下げ、
「でも、お母さんは大学に行けって言うし」
みたいなことを言う。どう見ても絵を書くような子には見えないから、私だって、
「冗談はよせよ」
と言いたくなるが、この子はこの子なりに虚構の上ではマジなのである。そもそも、アドラーに成りきっている、この自称心理学者も怪しいのだから、そんな人にタメ口をきく、この子の心理がわからない。

しかし自称心理学者は、
「課題を切り分けよ。進路の問題は、あなたの課題なのか、母親の課題なのか、一度考えてみよう」
と言うのである。心理学者が、はっきりと答えを示さないぶぶんに私は感心した。
「あなたの人生なのだから、悔いのないよう信じた道を進みなさい」
とかでなくて良かった。

私の嫌いな言葉に、
「やらない後悔よりも、やって後悔」
の類のやつがあり、なぜ嫌いなのかというと、やっても後悔はするからである。だからどちらにしたって同じなのである。

私の子供なんかは女ので、結婚トークで盛り上がることもあり、そんなとき出し抜けに
「わたしが顔中ピアスの人を連れてきて「この人と結婚したい」と言ってきたらどうする?」
なんて、訊いてくることがある。if文である。しかし私は質問の意図がわからない。もちろん、私がやんちゃな人を義理の息子とすることになんら抵抗はないのですか? という意図なのだろうが、義理の親子というのはたいてい不仲なのだし、そもそも私が結婚するわけではない。しかし私の妻なんかは、
「えー、やだなあ」
みたいなことを答えるから、子供はいつまでたってもこの手の質問のナンセンスさを悟ることができないのである。

顔中ピアス、ならまだ穏やかだったが、もし犯罪者と結婚したいと言ったらどうする? という仮定では夫婦喧嘩に発展しそうになった。私は刑期を終えている、あるいは冤罪を信じると言うのなら、反対する理由はない、という立場を表明したら妻は何を言っているんだ? という反応をし、根拠を訊ねると、
「あなたの妹とかに迷惑がかかる」
と答えた。私はその理由がわからないから再度訊ねると、身内に前科者がいたら、妹の婚期が遅れてしまう、とのことだった。私は一体何時代の話なんだろうと、唖然としてしまった。

もちろん、私の土地は田舎だし現実的に
「○○という苗字は部落出身だから、絶対に結婚するな」
ということを言う人もいる。前科者との結婚が実現したら、予想以上の風当たりに、
「やっぱ反対しておけば良かった」
と後悔するかもしれない。しかし私は先に述べたとおり、やる後悔もやらない後悔も等価であるという考え方だから、同じことだ。そうではなく、仮定の話なら、もっと気前良く前向きな話がしたいのである。

話は変わるが、私が十代になった頃から、父は良く
「子離れ」
という言葉を口にした。母に対してよく、
「きちんと子離れしなきゃいかん」
という使い方をした。今思えばまさに課題の切り分けの良い例であり、親がすべきことは子の親離れを促すことではなく、自分が子供から離れていくことである。