意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

私は書き尽くした

去年末か一昨年の末なのか忘れたけど、私はその辺からあまりブログを更新しなくなった。たしか2014年からそれまではあまり途切れることなく記事を投稿していた。それがあるときからあまり書かなくなってしまった。

それについて私は2019年くらいから勤務する場所が変わって、だいぶ仕事に費やす時間が増え、私は私が入れ替わるようなかんじがした。多くの人間を相手にせねばならず、翻弄され、ここ数年は人の心理について考える時間が増えた。アドラーを熱心に読んだ。職場には死にたいとこぼす人もいた。私はそういうことにはあまり頓着せず、数年前に商品があふれて文字通り足の踏み場もなくなって、そのときの上司のさらに上役の人に半泣きで現状を訴えた思い出を語った。私はそのときの話を他の人に聞かせたくなかったので、「乾燥室」と呼ばれる物を乾燥させる部屋で上役の人に訴えた。だいぶ暑い部屋だったが、正月明けの寒い日だったからちょうど良かった。他の場所はぎゅうぎゅう詰めだったが、その部屋はがらんとしていた。乾かす物があまりなかったからである。
「なんとかします」
とその人は言った。そうして実際なんとかしてくれたのだが、私はその後その人にだいぶ厳しい指導を受けることになった。


そんな思い出話が相手にどう伝わるかは知らないが、そういえばその人は昔の文豪を思わせる顔つきをしていた。丸眼鏡をかけ、その奥の眼光が鋭かった。後から本人に聞いたら
「趣味はサーフィンなんです」
と言うから、文学などには目もくれない人生を送ってきたのだろうが、私には小説家のように見えてしまった。その人の話では酒を飲んだ後に外をぶらぶら歩いていたら、川のそばで警察に職務質問をされたという。警察があらわれなかったら、入水自殺をしたのかもしれない。

私はその人の喋ることには、どこか胡散臭さをかんじていたが、それでもある種の好意を抱いていた。それは今までに感じたことのない種類の好意だった。

小島信夫保坂和志共著の「小説修行」を読んでいて、私は自分が書き尽くしてしまったことを悟った。今までは仕事の業務の量が増えたから、文章について考える時間が減った影響とばかり思っていたが、そうではなく、書き尽くしたから業務が増えたのである。