意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

完璧と完璧主義者の割合がおかしい

世の中に完璧なものなどそうそうないことは自明だがその割に完璧主義者が多いことに気づいた 他人の評価につかわれることもあるが自分から「完璧主義者なんで」と吐露してもあまり不自然にならないライトな言葉である その人からアウトプットされるものは完璧かそうでないかよりそもそもどちらでも良いものなのである 例えば誤字のない文章を「完璧」と言うのだろうか


それでは完璧主義者が主張したいこととはなんだろうか 私は最近アドラーばかり読むからその目的について考えてみた 悩むことの正当化であることに気づいた 行動の遅さへの正当化と言い換えても良い 完璧主義と言っていれば遅くても格好がつくのである