意味をあたえる

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日本の風習

私は「クレイジージャーニー」という番組が好きでよく見るが、その中のカテゴリで「外国の珍しい風習」みたいなのをやり、私は興味深く見るが、よく考えたら日本のお盆もその類ではないかと気づいた。私の地方ではお墓に提灯を持って歩いていき、墓参りの後にそこで火をつけて歩いて帰ってくるのだが、ご先祖が提灯に乗り込むので提灯は帰りの方が重くなる。提灯の火が消えるとご先祖が霧散してしまうので、火は本家の仏壇に着くまで絶対に消してはならない。もし風などで消えたらお墓まで戻ってやり直すのだが、めんどくさいので、最近では素早く火をつければノーカンとすることになった。過去には提灯そのものが焼けてしまうこともあった。子供用のミニ提灯を用意することもあったが、もう積極的に持ちたがる小さい子供がうちにはいない。祖母が生きていたころは本家の本家だとか、従兄弟のなんとかさんだとか、五カ所くらい墓を回ったが、今は本家はひとつしかない。そういえば私が子供の頃はいろんな人が訪ねてきたが、今は内々で酒を飲んで終わりである。お酒はビール以外出てこない。甲子園も見ない。鳩時計はいつのまにか止まった。本家に住む叔父は独り身で、祖母が死んでからはひとりで暮らしている。盆と正月以外は何をしているのか知らない。叔父とは子供の頃靴べらでチャンバラをした。私の靴べらは途中で折れた。

ホリエモンがかつて盆や正月の渋滞だとか、新幹線の混み具合を馬鹿らしがっていたことがあるが、それはまったく正しくて反論の余地はなく、いずれは親戚の集まりも同窓会みたくなるのだろう。だから私はこうして日本の風習について述べてもそこには主張はなく、ただ風景をつづるのみである。寺までは本家から700メートルほど離れていて、帰り道は100メートルごとに線香を置いていく、私の子供がその理由を訊ねるので、
「提灯はひとつしかなくて、小さいでしょう? だからたまに振り落とされてしまうご先祖さまもいるのです。ご先祖さまの中には赤ちゃんもいるから。そういう人が道に迷わずうちにこれるように、こうして線香を置くのです」
「でも提灯の光でわかるでしょ? あと線香はすぐ消えちゃうし」
「実は幽霊は目よりも鼻がきくから、線香のにおいを頼ってくるのです。線香は消えてもしばらくはにおいは残るから」
「死んだ後は花畑に行くとこのまえ本で読んだ」
「自分は子供の頃図書館で読んだ「高速道路にでるおばけ」という本が好きだった」

私が子供のころには「この科学万能の時代に」という枕詞がついてよく幽霊番組がやっていたが、今はあまり見ない。「おもいっきりテレビ」でみのもんたが夏休みをとると新倉イワオという男が出てきて、視聴者から投稿された怖い話を再現ドラマにして流し、そのあと解説していたが、そこで流れる怖い話は怖さと一緒に「悲しさ」があった。どうして幽霊になったのか、という背景を追うと無念さだとかは避けて通れない。今は怖い映像がよく放送されるが、ひたすらびっくりするばかりで余韻がない。戦後70年以上経ったからか。私が子供の頃はわずかだが、まだ戦争の余韻があり、怖い話の本を読むと「戦時中の......」みたいなのがたまに出てきた。

父が私の100メートル先を歩き、先頭で線香を置いていき、子供はその場所にならって自分も線香を置く。このときの父(子供からしたら祖父)の背中を、私の子供はわすれないだろうと、私は直感した。そして大人になって自分の子供ができたら、お盆の話をするのだろうと私は思った。科学万能の時代に、血のつながりは余計だ。