11月になったがコタツはまだない。私は決してコタツ至上主義ではなく、あったまればなんでもいいのだが、なんの暖房もなければコタツでもあればと思う。エアコンとか、あと最近では長細くて白い暖房器具とかあるが、あれらは少し頑張るとなぜか涼しい風をはきだしたりして、信用置けない。白い長細暖房器具はサボったりはしないが、いかんせん力が弱すぎる。寒いからと私は私の右半身をつけたりすると、右半身のみ温まり、左半身は置き去りである。だから反転して今度は壁に向かうと右が冷える。しかしないよりかはマシだから、
「君がいて良かった」
みたいな顔をして温風を浴びる。コタツの良いところは、暑くなったら体を外に出せば、外は意外と寒いところだ。ヒーターなどで暖めると部屋全体が暑くなるから、暑いときは大変だ。昔は家に石油ストーブがあって、目覚まし時計が乗っているのに気づかずダリの時計の絵を地で行くみたいになったこともあった。それでも時計は生きていたから良かった。時計というのは各家庭に何個もあるから不思議だ。同じ部屋に二個も三個もあったりする。現代人はスマホを四六時中いじっているからそんなに時計がなくてもなんとかなりそうだ。しかしKindleで文字を読むときは時計が消えてしまうから不便だ。今年の春まで私の職場には時計がなくてかなり不便だった。春になると私の裁量がいくらか増え、いちばんにやったのは時計の購入だが、大抵の人は喜んだが中にはがっかりする人もいた。その人は
「あと何分働かなきゃいけないとか思うから嫌だ」
と言った。今の時計が来るまでは、消火栓の上に、卓上の小さな時計が置かれていた。それは近くにジョーシン電気がオープンしたときに誰かがもらってきたものでタダだから小さかった。それを目を凝らして見ていた。広い部屋だったから時計までは距離があった。毎日視力検査でもしているような気分だった。年取った人に時間を訊かれて読み上げたらずいぶんと驚かれた。さっきの会社に時計があるのが嫌な人の席はその卓上時計に背を向けるような場所で、その人の目の前には壁掛けカレンダーがあった。もっと長いスパンを見たい人なのだろう。私もカレンダーを眺めるのは好きだ。無意味に縦横で足したり掛けたりして時間をつぶす。