意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

こうゆう

「こういう」を「こうゆう」と書いているのをときどき見かけ最初はふざけているのかと思っていたらどうやら一定数「こうゆう」を正としている人がいるらしい どっちでもいいやとも思う しかし仕事のメールなどで出てくると面食らう 「かわいい」とすら思える そもそも仕事のメールで「こういう」と言い回す場面なんてあるのだろうか 普段私も書き物をしているときは「こういう」とはまず書かない しかし段落が進んで筆が乗ってくると書いている気がする 気持ちが入ってくると自然と語り口調になる よくドラマなどで手紙を読んでいる場面で徐々に書いた人の声に変わっていくアレみたいに声が文字をリードするようになる 思いつきだが声と文字は頭の中の別部署が担当しているように思う 声がリードするようになると文字班は日本語として妥当か・論理に破綻がないかをチェックするようになる しかし私はこの機能があまり好きではなく 声班の熱が引いていくのに伴ってどんどん大胆になる文字班の動きを封じたくてある程度のところで止めにしてしまう あるいは文字班とは私の臆病さのあらわれなのかもしれない