意味をあたえる

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村上朝日堂の逆襲を読んだ

私が初めて読んだ村上春樹の小説は、ねじ巻き鳥クロニクルで、90年代の終わりで、ノルウェイの森も売れて小説を読まない人でも名前は知っているというかんじだった。表題の村上朝日堂の逆襲は多分何冊か小説を読んだ後に初めて手に取ったエッセイで、読んだのは2000年代に入ってからだが、文庫がでたのは平成元年で、雑誌に連載していたのは85年ころである。その頃の村上春樹がどの程度の人気だったのかは知らないが、少なくとも今みたいなノーベル賞取りそうで取れない人ではなかった。


初めて読んだ頃は意識しなかったが、今改めて読んでみると、大御所感はまったくなく、若手の一作家という感がのびのびしていて読んでいるこっちも和んだ。村上春樹が大御所なのかはわからないが、最近書いたものを読むと、この頃よりもずっと慎重に文章を書いている印象を持つ。今は総じて窮屈なのである(それでも本の中で以前に比べたらだいぶ窮屈になった、と書いてある。「昔よりも車が増えた」なんてあって時代を感じる。以前読んだときはそんなことはまったく思わなかったが、私自身も年を重ねたからそう思うのだろうか。

私は十代後半からエッセイを好んで読んでいて、さくらももこから始まって、吉本ばななとか、原田宗典とかが好きだった。単純に笑えるからである。村上春樹のエッセイは笑いの部分では、これらほどではなかったが、一本気のようなものを感じ、結果的に私の人格形成に大きく影響をあたえたと思う。例えば表題のエッセイでは「批評を批評してはならない」とあって、私自身もブログをやりながら、そういえばネガティブなことを書かれたこともあったし、なんなら「そういうことじゃないんだよ」と反論もしたくなったが、こらえるようにしてきた。今の時代にそういうのが正しいのかはわからないが。


一番読んだのは「そうだ。村上さんに聞いてみよう」という読者のメールに答える形の書籍で、その中でもやはり、とぼけた回答の中に自分の考えを真摯に述べている箇所があって、独特かもしれないが、自分はこの考え方でやっていく、みたいな答え方をしていた。)