意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

読書をがんばる

年をとったせいなのか、スマホの画面を見続けるのがしんどくなってきた。老眼はまだない。ただ画面を見続けるとほとんど文字が読めなくなる。読書をしようと思った。私は読書は電子書籍がいいと思っていた。なんせ場所をとらないし保管場所とか処分のことを考えなくていいのは楽だと思った。スマホは財布を持たないことはあってもどこでも持ってるから、家に本を忘れてしくじったと思うことがなくて、効率化の極地のようにかんじていた。しかし目が追いつかない。幸いにして寝ながら見ていても眠れなくなることはないが、目は見えなくなる。目が見えないと何もできない。何かの栄養が不足しているのかしら。ビタミンなんとか。そういえば少し前にものもらいができた。朝起きて本当に視界が狭くなった。目薬を薬局で買って、熱心に差した。結果的に良くなったがとても苦い薬でした。どうして目薬が苦いかというと、なめたのではなく、目の奥から喉の奥に下がってきてしまうのである。頭蓋骨の表面を滑り降りてくるというか。それで「むむむ」と険しい顔をしながら仕事をしたが、マスクをしていたから誰もわからなかった。


昨日は村上春樹のエッセイを読んで、それからミステリーを読んでいる。会社の昼休みもそれを読んだ。大して面白くはない。もっと面白い本を私は知っているが、面白い本はもっと元気がないと読めない。読書とは運動であり能動的でありつばぜり合いなのである。でもそうでないのも当然あって、しかしそれは退屈なのである。それでも私は今一生懸命文字を追って時間をつぶしている。時間をつぶすなんてもったいないと思うかもしれないが、時間を有効活用しようとしたなれの果てが今なのである。