意味をあたえる

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ずっと卵でいつづけるために

村上春樹の昔のイスラエルでの講演「卵と壁」を随分前に読んだが、ここ数日そのことを考えている。読んだ、と言っても村上春樹は講演は英語で行ったのだろうから、私が読んだのは誰かの翻訳なのかもしれない。しかし、日本語の原稿というのが存在していて、それが掲載されたのかもしれない。わからいが、ちょっと調べればそんなことはすぐにわかるだろうが、調べないままに書く。

あれを読んだ多くの人は、自分も卵の側でいたい、と思ったのかもしれない。少なくとも私は思った。しかし、卵と壁が一体何の比喩だったのか、今となっては正確に思い出せないが、卵の側でいつづけるのは、至難のわざではないかと思うようになった。

少し前に購読しているブログを読んでいたら、数日前の話だが、そのときはどのブログを読んでもいつもよりも考えることが多く、その内容はだいたい同じだった。引き寄せの法則だろうか? 否、私が無理やり共通項を見出しているのだ。

「正社員で実家に住み、貯金は1000万円」というのがあり、そこに非難のコメントが集まった、という話だが、私が読むとあまりそういうのはなく、おそらくもしかしたら、そういうのも含めての「記事」なのかもしれないが、非難した人、あるいはそこまでしなくても嫉妬をしたり、この人はどうしようもない、とかネガティブな感情を抱いた人は、壁側の人間である。私は昨日になって、「ひとり立ちする」とか、「自分の生計を立てる」というのは、社会側がしかける洗脳なんだということに気づいた。

以前から、大人になったら仕事に就かなければならないとか、それも派遣よりも正社員が望ましいというのが洗脳であることには気づいていた。私は今正社員で働いていて、失業は怖いが、それはやはりある程度は、社会に毒されているからである。私が卵でいつづけるのは至難のわざ、というのはそういうことである。

だから、せめて仕事をしないニートであるとか、働いても多くの収入を望まずに親に依存しているような人というのを責めない、むしろ応援しようという風に心がけている。

ここまで書いたところで、自分の家庭について当てはめていたら、どうして世代間のシェアハウスはいけないのか、という疑問が湧いた。何もいけないことはないのだ。もしかしたら、親子で暮らすことが良くないイメージを与えるのは、持っている所得に圧倒的な差があるからで、親のほうは自分くらいの所得があって当然という考えがあって、だから稼げない我が子が情けないとか思うのかもしれない。だとしたら、あと10年20年したら、親子で暮らすこともシェアすると普通に言うようになって、それが普通のことになって、ネットでもそういう特集が組まれるのだろう。私は子供が2人いて、独身で家にいるのは別にいいけど、結婚したら、私は他人と暮らすのなんて嫌だから出ていって欲しかったけど、「シェアしよう」と持ちかけられたら、まあそれもいいかもな、とか思うのかもしれない。あるいは、家族とか血縁とか、そういうのに私がドライだからそんな風に思うのかもしれない。