意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

母のこと、祖母のこと、男女のこと

昨日たまたまTwitterで流れてきた記事で、「男性が女性と付き合いたかったら、食事はおごるべき」という主旨のものがあって、別にそれは個人の考え方だからどうでもいいのだが、私は読後に気分がもやった。もやる、とはもやっとするという意味で、うまく言葉や理屈が追いつかないうちに、感情ばかりが先走る状態である。

私はその人の主張は、基本的には正しいと思う。例によってリンクを貼らないのは、いちいち記事を探すのが面倒だし、特別意見のやり取りをしたくないからだ。「わたしはあの記事ではこう言いたかった」等言われても面倒だ。あと、「男女の食事は割り勘? おごり?」というのは昔からよく見かける話題だし、その記事の主張には特に目新しいものは見かけられなかった。というか、もう半分くらい忘れた。

基本的に正しい、とは例えば好きな人ができて、その人と性行為に及びたいと思うなら食事をおごるというのは、行為としては間違っていない。それは投資と同じである。だから、特別な関係を望まないなら逆に割り勘、というのも理解できる。私は今投資という言葉を使ったが、投資の見返りは性行為に限らず、良好な関係の維持とか、自分の財力を見せつけることによる上下関係の確認とか、いろいろあるだろう。そういうのを勘違いしてしまうと、色々恥をかく。まあ、それはいいとして。

暫定的な答えではあるが、私がもやった理由とは、投資するのが男性限定という主張を読みとったからではないか。投資するのは、食事をおごるのは女性ではいけないのか、女性には自ら相手を選択する自由はないのか、と思ったのである。

ここからは曲解だが、女性の中には容姿が優れない人や、特別に性格のひねくれた人もいて、そういう人の中には、終生食事をおごられない人もいる。そういう人にはチャンスはないのだろうか。逆におごってはいけないのだろうか。女性はひたすら末側で、あたえられた選択肢から選ぶことしかできないのだろうか。

私は、最終的な着地点(生物学的な男女の目的、など)はわからないが、少なくともチャンスや権利においては、男女の差は限りなくゼロにしていくのが、間違いなく正しいと思って生きてきた。だけれど、大人になって年齢を重ねてくると、果たしてそれはどうなのか、と立ち止まる場面が何度も出てきた。例えば私の妻は、「女はともかく、男は大学でなきゃ」みたいなことをたまに言う。私は今時こんなことを言う人がいるのか、ととても驚いたが、妻の周りの人はみんなそういう考え方らしい。または、「現実的に」そうらしい。現実が、そういう風なのは私もある程度知ってはいるが、間違った現実に従う必要はない。もちろん本人は従ってはいるつもりはないのだろうが、だとしたらそれを正していく試み、例えば口先だけでも「男は」「女は」とむやみに頭につけるべきではない。

だけれども、だんだんとそんな風に考える私のほうが少数派なんだ、ということがわかってきた。私が同じように理解できない考え方に、夫が主に働いていている夫婦で、夫が例えば仕事が嫌になっちゃって行きたくなくなったときに、妻が
「わたしが働きに出たって、あなたほどは稼げないんだから、がんばって働きに出て」
と励ます行為である。別に励ますのはいいし、夫の方もただ愚痴っているだけなのかもしれない。でも、もしメンタルに深刻なダメージを受けているんだとしたら、もちろんメンタルでなくてもだが、この理屈は通用しなくなる。「あなたほど稼げない」は、社会経験だとか、それ以前に男女の賃金の差を指しているのかもしれないが、手負いの男よりも、健康な女の方が、例え男女の差が激しい現代でも、たくさん稼げるのである。私は男女問わず、たくさん稼げる方が仕事にでる方が合理的だと思う。単に働きたくないだけであれば、
「私は働くのが嫌で結婚したのだから、ちゃんと働いてほしい。会社を辞めるのはかまわないが、月いくらの収入は保障してほしい」
と、伝えるべきである。むしろそのくらいドライに伝える方が、相手も希望を持てるかもしれない。「月いくら」となれば、貯金と失業保険でなんとかなるかもしれないから。もちろん、いざそのときになってそういう話をしても揉めるだけなので、できれば結婚前にそういう話をして、書面に残したりすれば、なお好ましい。

私の父親は、自分の好きなことを仕事にしていて、もちろん好きかどうかは知らないが、とにかく給料の安い仕事で、母は困っていた。子供も私を入れて三人いたから。さらに父にも何度か危機があったらしい。そんなとき、母はもしそうなったら、自分が働けばいいと思っていたそうだ。そう私に話したことがある。それがどこまで本心だったのか、私にはわからない。私は母という人間が、いまだにわからないときがある。私が十代のころに何か悪さすると、母は必ず、
「私の育て方が悪かったのね」
と私に謝罪した。そう言われると、もう何も言い返せない。それを、バイト先のパートの主婦にあるとき話すと、「それはいいやり方だね」と言い、完全にテクニックと解釈していた。しかし、私には母の言い方が、どうしても冗談にも見えなかった。

だから、「私が働きにでる」は父を奮起させるためのテクニックだったのかもしれないが、しかし母の母、私の祖母は、やはり祖父の給料が安いからと、自宅の二階を下宿にして学生に貸したり、株等の投資も積極的に行っていた。夏休みなどに遊びに行き、私がお金の話をすると、
「お金なんて、稼げばいくらでもあるだろ」
といつも言われた。

そういう環境で育ったので、私の発想は、あまり理解されないのかもしれない。


※小説「余生」第52話を公開しました。
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