意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

ぐでたまは死を超越している

ぐでたまというキャラクターがいるが朝からあんなとろんとしたしゃべりを聞かされて不愉快だ。別の放送局でも紙を切り抜いたみたいなウサギとリスのやり取りも本当にうすっぺらくてイラっとする。妙にへらへらしているウサギが私の神経を逆なでする。昔読んだ「マジカルたるるーとくん」という漫画で主人公の父親が厳格な人で夕飯を食べながらテレビを見ていたときに恋愛の男女が「君の瞳の中にぼくがいる」みたいな言葉を吐いてすると父が激昂してテレビをこぶしで破壊するというくだりがあって「ぐでたま」を見ているときの私の心境はまさにそういう具合だった。「厳格」という言葉を使ったがよく考えると本当に厳格な父なら食事中にテレビを見るはずもないので私の記憶違いでないならこの父親は厳格ではなくただのサイコパスだ。私もサイコパスかもしれないがさすがにテレビは壊さず自制する。しかしたまには大暴れしたい気にもなる。家中のあらゆるものをそれまでとは違う状態に一気に無計画にしたくなる。中上健次の小説で家中をめちゃめちゃにするのがあったがあれはただの酒乱だったと記憶する。とにかく昔は大暴れする人が多く長嶋茂雄も巨人が負けるとベンチだかを蹴飛ばして破壊したと聞くから長嶋茂雄くらいの人でもそういうエピソードがあるから物にあたるのは良いことではないか。物と言えば蜷川幸雄もかつては気にくわないと演者にアルミの灰皿を投げつけたというが妹尾河童という人がある日アルミの灰皿をガラスの重いやつにこっそり替えて様子を見たら激昂した際一度灰皿を持ち上げたがそのあと投げずに静かに戻したらしい。怒っているようだが実は冷静であり流石世界の蜷川幸雄である。


とにかく私は「ぐでたま」とか紙のうさぎとかに灰皿を投げつけたいわけだが昨日私の子供が「ぐでたま」のシールを持っていてそれにはさまざまな境遇のぐでたまがおりその中にゆで卵みたいなのがあってそれを見た瞬間私は「ぐでたまとは死を超越している存在である」と思った。他にもだし巻き卵のやつとかもいたが切り刻まれたり茹で上げられても人間を憎むことなくまだ媚びた表情をしておりこれは一体どういう神経なのだろうか。あるいはなんでもかんでも擬人化せねば気が済まない人類の拡張の一環なのか。同じような混乱にライオン・キングという映画があるがあれだっていずれは餌となるキリンやシマウマがライオンにひれ伏すというのはどういう理屈なのか。子供時代のシンバが「シマウマ食べたいなァ」と無邪気に言うが王国というのは体面だけでも王に安全の保障を得られるから奉仕するのではないか。私は自分を納得させるためこの王国というのは一種の宗教団体で王に食べられると天国に行けると洗脳されているのかもしくはシンバが食べたいと言っているシマウマは別の国のもので逆に自国内の動物は絶対に食べないみたいな決まりがあるからうまく集団を保つことができると推測した。