読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

他と自分の間の距離

 この二十年の間に、しだいに動物を見ることが少なくなってきた。ずっと以前には、夕暮れのころ、あちらこちらで啼くさまざまな動物の声が、椎の大木の陰の中に聞こえて面白いと思うこともあった。しかし、動物を見ることができないことに気づいたのは、さまざまなことを犬に沿って考えるようになったころであった。自分の家で飼っていた犬を観察しながら、その犬に見せる彫刻をつくることを計画し、最終的には彫刻が自分と犬の間にあり、それぞれに向いた半面が、自分と犬に所属していると考えるようになった。そのとき、犬と自分は近づいたように思えたが、ほかの動物は逆に遠ざかっていった。

記事のタイトルから、若林奮「I.Wーー若林奮ノート(書肆山田)」の271ページからの引用である。一体どれくらい前から読んでいたか忘れたが、昨日ようやく最後まで読み終えたので、また初めから読もうと思う。一生読み続けていたいと思う文章である。引用ぶぶんについて、「犬に見せる彫刻」とはなんだろう? 犬の彫刻なのか、それとも犬のためのなんとかなのか。私は偶然、あるいは偶然でもなかったのかもしれないが、去年に若林奮の彫刻を見る機会があった。それを見た後では、犬に見せる彫刻とは、犬に見せる彫刻なんだろうな、としか想像することしかできない。解釈について、私たちはよく比喩を利用するが、比喩とは案外雑なものである。精度が重視されるが、端から外すことを前提に利用されているふしがある。どうしてはずれているのにみんな、
「すばらしい」
とか言うのかと言えば、それはそういうもんだと、みんなが納得しているからであった。

引用の中で、犬と私のあいだに彫刻があり、とあるから、やはり犬に見せる彫刻なのだ。犬はじっとしていられるのだろうか。あるいは、犬とは犬全体なのかもしれないし、動き全体をカバーするのかもしれない。そう考えると、彫刻は私と犬の面がそれぞれあるそうだが、犬の面の方がずっと広いのだろう。

ここまで書いたことを、書く前に考えていたわけではなかった。私は書く前には劣等感について考えていたが、午前に仕事をしたら、どうでもよくなってしまった。私は自分が初めて社会に順応したときについて考えていた。それは小学校一年のときの、ある雨上がりの体育の時間で、雨が上がったから、全員は体操着で校庭に集まったわけだが、校庭はぬかるんでいた。しかし日が出てきたから、跳び箱だか竹馬だか、やることになった。しかし、雨はさっきまで降っていたから、体育館倉庫の鍵が閉まっていた。体育館倉庫と校舎は校庭をはさんだ両極にあり、生徒を連れて職員室に行くのは面倒と判断した担任はとつぜん、
「棚尾くん、体育館倉庫の鍵を借りてきて」
と私に頼んだ。私はひとりで職員室に鍵を借りなければならなくなり、ひとりだけ回れ右をし、再びぬかるみの中を歩き出した。地面が行きよりも視界の近くにあり、泥の中に細かい砂がちりばめられていることを発見し、多くの砂はすでに乾いていた。私は白いソックスを履いていた。マジックテープのスニーカーは、底がかなり汚れていた。私は校庭がどこまでも続く可能性について考えていたが、ほどなく校舎にたどり着き、外階段を登った。職員室は二階にあったからである。二階は来客用の玄関だったため、私はそこで靴を脱ぎ、靴下で廊下の上に立った。下駄箱は離れているから、上履きを取りに行っていたら、時間の無駄だった。それは私の判断だった。
「裸足で歩くな!」
と注意されそうで、私はびくびくしたが、授業中なので誰もいなくて静かだった。私はしばらく職員室の前を行ったり来たりして、
「体育館倉庫の鍵を借りにきました」
という依頼のセリフを、口の中でもごもご練習した。一字でも間違えたら、通じないと思ったからである。「体育館倉庫の鍵を借り」までは担任の言葉のコピーで、それ以降が私のオリジナルだった。

職員室の廊下は私たちの教室のものと違って、ぴかぴかしていてよく滑った。私は靴下だったから尚更だった。しゅー、しゅー、とスケートみたいに滑りながら、扉を開けるタイミングを伺った。滑り具合で言えば祖母の家の南側の廊下と良い勝負だったが、祖母の家の方は本当に立っていられないくらいよく滑った。

やがて私は中へ入り、中にいた名前の知らない教師に、
「体育館倉庫の鍵を借りに来ました」
と告げた。教師は数人いたが、どの人も腰を曲げて私に応対した。鍵は入ってすぐの壁際にかけられており、ひとりがそれを取って渡してくれた。鍵には紐が通され、木の札がついていたが、札も紐もぼろぼろで手によく馴染んだ。私は
「失礼しました」
と言い、職員室を後にした。言い忘れたが、
「失礼します」
「失礼しました」
の練習も廊下で何度も行った。

その翌週の朝礼のとき、校長先生がご挨拶の中で、私のこの一連の出来事を誉めてくださった。私の名前を言うことはなかったが、私のことだとすぐに気づいた。校長先生は、私の年齢にしては、しっかりと用件を伝えられたことに感心したらしく、
「一年生でもこれだけきちんと言えるのだから、上級生も見習うように」
と言葉を結んだので、いよいよ私は鼻高々であった。しかしそのことをクラスメートの誰にも言わなかった。

以上の出来事が、私の考える、私が初めて社会に順応した出来事である。もしもあのとき廊下でうじうじしているところを、教師の側から声をかけられたり、職員室で緊張のあまり何も言えなかったりして、校長の興味を引くこともなかったら、私の人生はもっと望ましいものになったのかもしれない。