私の父はそういえば写真が趣味であり、実家の一室は現像室になっている。今は物置になっている。私はその部屋に生涯でたぶん100回くらいしか入ったことがないので、そういえば二十何年暮らした家で唯一なじみのない部屋であった。それどころかその部屋には窓がなく、今頃の時期から風がそこから吹き込むようになり、ドアをがたがた言わせるから、小学生くらいまでは怖くて仕方がなかった。私が怖がると、母はドアの隙間に新聞を挟み、ドアががたがた言わないようにしてくれた。新聞は一日分が入ったから、かなりの隙間だった。父が家にいれば嫌がるので、母は父がいない日に新聞を挟んだ。父は障害者の施設に勤めていて、そこは泊まりの日もあったから、父はしょっちゅう不在だった。
窓が開けっ放し、とはどういうことなのだろうか。毎夜玄関に鍵はかけ、出かけるときにもかけているのに、開いている窓があっては全く鍵の意味をなさない。暗室の窓は家の裏に面していたから、外から開いていることを確認できないが、裏は畑になっているので、例えば畑の持ち主からしたら窓は丸見えだった。そこは本家の畑だった。本家というのは、私の父の実家のことではなく祖父か祖母の実家だった。本家の人はたまにトラクターで畑をうなっていたが、私はその人と一度も言葉を交わしたことはなかった。盆や正月に祖父母の家にくることもなかった。本家だから、くるという発想がそもそもなかった。そういえば、妻の友人の母が私の父と同級生で、以前話をする機会があり、そのとき母親はあなたのお父さんのことはよく知っている、と言った。
「あなたのお父さんの家(私の祖父母の家のこと)は、昔犬を飼っていた。それはとても大きな柴犬で、私はそれが怖くて仕方がなかった。それと、おばあちゃんがいて、この人もとても怖かった。私は怒られたことがある」
と教えてくれた。そのときは妻の友人が家を建てるときであり、それで私の弟がそのとき不動産の営業をしていたから、友人は弟と契約して家を建てた。だから私は主に弟の応援係として、そこに駆けつけていたのだ。上棟式に呼ばれていて、私は仕事が残業のふりをして逃げてしまおうと思ったが、実はそこで実際の工事を行う大工も私の知り合いであり、私よりも年上のその人は、
「弓岡が残業するなんて、天地がひっくり返っても有り得ない。あいつはすでに夕飯を食い終わっている」
と言い、しつこく弟に電話をかけさせたので、私はようやく腰を上げた。知り合いだらけの上棟式であった。
私はそこで母親に過去父の実家ででかい柴犬に吠えられた上に、おばあちゃんに怒られるという話を聞き、契約を破談にしないために、私が頭を下げるべきか、それとも笑い話として受けるべきか迷った。すでに上棟式は終わって職人たちは帰り、私たちは座敷にいた。どういう季節だったか忘れたが、畳に座ると一段落した。母親がクーラーボックスから次々にアサヒスーパードライの500ml缶を私に差し出してきたので、私は飲んだ。500mlの缶は350よりもやっこかった。それでそこの家のトイレはくみ取り式だったので私の子供が怖がり、私もあまりそこで用を足したくない、と思ったので、私は、
「おあいこだな」
と思った。父の祖母は私が生まれる直前に他界している。