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意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

やめる練習

いつのまにかこのブログを開設して二年以上が経ち、たとえばあと十年後も同じように続けているかというと、そうでもない気が強い。そうなるとどこかでうまくやめられるように今から練習というか、準備が必要な気がする。ただやめるのに準備なんているのかという考えの人は会社を想像してみてください。私の妻は今月で今のパートをやめるのだが、それにしたって
「やめます、はい、さようなら」
とはいかない。私なんかは無責任に
「もう一生会わないのだから、死ぬみたいにひっそり消えちまえばいい」
なんてアドバイスするが、同じ島には従姉妹の同級生なんかもいるから、あまりぞんざいにはできないのである。

かくいう私も昔勤めていた会社をやめるとき、はっきり言って心を開いた人などひとりもいなかったが、やはり最後は部署内にお菓子を配ってやめ、しかもひとつでは心許ない気がして二箱も買った。女性のほうが多い部署で、大抵の人は
「ふたつどうぞ」
と言うと喜んだが、ひとりの女の人は
「ひとつでたくさん」
と受け取ってくれなかった。その人は私のすぐ隣の席だったが、「了解しました」みたいなことをわざわざメールで送ってきて、まあ形に残るのは何でもあとでトラブルが起きなくていいのかもしれないが、私には理解できなかった。余程私が嫌なのだろう、と思いそうになるが、彼女が少し病んでいるだけのことだった。私の向かいには女性が二人いて、その二人と私の左隣の病んでる女性が仲良しグループだったが、病んでる女性の反応に二人が
「???」
みたいな空気になることは一度や二度ではなかった。とにかく居心地の悪い職場だった。居心地が悪いから、最後はヘマせず無難に辞めたいと思ったのかもしれない。そこはブラックと言うほどの過酷な会社ではなかったが、とにかくみんなが忙しすぎて私に仕事の指示をする人がおらず、私は暇な日々を過ごすことが多かった。そのころ私はメールの読み間違いとかすごく多くでひとりだけ遅刻してしまった日などもあったが、大して仕事を与えられないから、ちょっと私のほうも病んでいたのかもしれない。一斉メールで、私だけが内容を理解できていなかったこともあった。今は過保護なくらいしょっちゅう上司が私の頼りないぶぶんを指摘してきて、今日の午前中も一時間近く話をした。積極的に質問すれば相手も満足するだろうと思い、
「ひとついいですか?」
という切り出しを五回くらいした。最後のほうはもう疲れてしまって生返事だった。あまりこういうのが過ぎると今度は別方向に針が振り切れるが、過保護な状況はすぐに修正がなされるから、自分がおかしくなってしまった、という自覚はあまり持たなくて精神衛生的には良い。やはりあのときはおかしかった。駅から会社まですごく離れていたが、私はバス代を節約するために辛抱強く歩いた。途中に農作物の無人販売所があった。ペット専用のホームセンターがあった。雨の日も歩いた。昼は公園でローソンで買った太い麺のパスタを食べた。そうじゃないときは社食で数人の固定メンバーで食べたが、この人たちは全員喫煙者で、最後まで馴染めなかった。私は8ヶ月くらい勤めた。