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意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

友達

昨日は友達について書いていたが、どこかで男友達なのか、女友達なのか書こうと思っていたが書かずにどこまで行けるかと思いながら書いていたら書かずに済んだ。済んだというか、途中で眠くなって(書くのを)やめてしまった。昨日は6時くらいから寝たいと思っていたが、甥が起きていて、甥はまだ生まれたばかりで首も座ってないから誰かが抱っこしていなければならず、首の座っていない男児をだっこするとまず疲れるのは手首だ。手首が疲れるのは私が下手くそだからかと思っていたら、私の子供も
「疲れる」
というから、抱っこあるあるみたいな話しができた。甥は生まれたばかりだが、生まれたばかりでない甥もいた。しかし言葉はまだまだといった感じだった。それを空に放り投げるように抱き上げたら喜んで、何度も何度も繰り返すようせがまれた。子供はこういうのが好きなのである。何もできない乳児を相手にすると私たちはよく、自分の親とか、あるいは自分とかが老後になって死が間近になって歩けなくなったり記憶が混濁すると、それは乳幼児とそっくりだと思い、違うのは可愛いかどうかだけだ、と思ったりする。そうなった私たちが自分よりも屈強な人に
「高い高い(他界)」
とやられたら嬉しいだろうか。特に私なんかはすごく乗り物酔いが激しいから、そんなことやられてもありがた迷惑だろう。昨日も私は行き帰り、片道一時間以上ずっと運転したが、途中に山道があったりして、心の底から
「運転してて良かった」
と思った。山道なんかは正直自分が運転者でも酔うくらいなのである。運転好きの人は山道ででしゃばる傾向があるが、あれは私の地獄のひとつだ。何年か前に八王子の山奥の知らない公園のベンチで横になっていたのは私だ。そのあと私の子供が吐いてシートがだいぶ汚れ、私はひそかに「ざまあみろ」と思った。もちろん子供に対してではない。

話は最初に戻るが、文章のうまい下手の尺度に短い文章にどれだけ情報をつめこめるかみたいなのがあって、かつては私も友人に小説を読ませたら
「昼か夜かわからない」
と言われショックを受けた。それがおそらく今も続いていて、だから友達が出てくるとそれが男か女かをどこで書けばいいのか気になってしまうのだ。