二歳の甥がお菓子やチョコばかりでご飯を食べないので「なにを食べさせて良いのかわからない」と嘆いている。私にも子供が2人いるがもう小学生なのでなにを食べさせていたか忘れてしまった。過ぎ去ったことなので大したことことのないように思えるしそのような悩みが微笑ましくも見えるが錯覚である。一方で回転寿司屋でおいなりさんやハンバーグを勧めても箸すらつけずチョコレートケーキの表層のチョコばかりほじくっているのを見て私も一言申したい気持ちにかられた。確かにお手上げである。しかしこれは「甘いものばかりでなくバランス良く栄養をとれ」という教育的義務感からきた衝動であるがよく考えてみるとチョコをやめたところで回転寿司屋のおいなりさんやハンバーグが栄養満点なわけない。むしろ添加物満載なのだから無意味であって滑稽である。じゃあなんで食わせるのかというとそれは他人の目とかそういうことなのかもしれない。
子供のころお菓子を食べていると父が難色を示した。自分が子供のころはオヤツは野菜だったと言い私は味気ない時代だったんだと思った。なにせ小学三年まで家に牛がいて牛に畑仕事を手伝わせていたと言うのだがらそんな家にポテトチップスなどがあるわけない。祖父は酒に弱く店で酔いつぶれると父がリアカーを引いて迎えに行った。そういえばリアカーもマメトラも見なくなった。一輪車はまだあるのか。子供が遊ぶ一輪車でなく砂だのを運ぶ一輪車である。幼いころ叔父に載せられ庭や竹やぶの中を連れまわされ最後にゴミ捨て場で私が空けられそうになり必死でへりにつかまった。たぶん私が本気で落とされまいとしている様子が微笑ましかったのだろう。そんな風に思えるようになったのは甥ができたからだ。