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意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

駅伝の魅力

年末に会社の人が
「駅伝の魅力ってなんなん?」
と言っていて、人々の中にはまず自分の中の魅力であるとか、どう自分に影響をあたえるか(メリット)が明らかにならないと行動をうつさず、外野からひたすら疑問を投げかけるという人がいる。そういう人は「なにがわからないのかわからない」ということを口にしたりする。わからない状態がキープできれば、自分が変わらずに済むから、わからないを何重に自分の周りに囲むのである。「わからない」は関心なのか無関心なのかを考えると、どちらのパターンもあるのである。

私は自分の人生を振り返ってみて「何がわからないかわからない」ということを口にしたり、そういう状態になったという記憶がない。そういう私からすると「何がわからないかわからない」はそういう心境である表明のようにかんじる。頭の中に円グラフを思い浮かべ、全体の5分の1か6分の1しか掴めていない状況のとときに、多数決で「わからない」に塗りつぶしてしまうのである。やはり私は楽観的な性格なのだろうか。昔に派遣で勤めていた会社で会議の資料をつくったら
「何から何まで違う」
みたいに言われ、それは当てずっぽうでやった仕事ではなく一応前回の資料みたいなのを渡されそれを参考にして特に悪意もなくつくったわけだが、これを「何がわからないかわからない」状態と呼ぶのかもしれない。しかし私としてはこれは指摘した人の勘違いか、そうじゃなければ私が見落としたぶぶんがあったのだ。私としてはせめて「惜しい」資料をつくったつもりだったから、何から何までとはどういうことなのか、興味が湧いた。結局私はその後その会社を辞め、あるいは「辞めます」となって、「何から何まで」が一体なんなのか、知らずに去ることになった。一応名を言えば知っているような、一部上場企業だったが、働いていて愉快な会社ではなかった。派遣だったからかもしれない。みんなが忙しくて放置されている時間が多く、したがって私の心はすさんだ。隣の女がいかにも潔癖症で、日に何度もスプレーをデスクにかけて磨き、その女は私から見るとちょっとまともではなかった。

駅伝について私が好きなのは選手の走らなければならない距離が画面の左上に表示され、そこに今まで走った距離が赤色で塗りつぶされていくのだが、赤の領域が少しずつ伸びる様を眺めるのが好きだった。考えてみると私はパソコンなどのインストールのバーが塗りつぶされていくのを眺めるのが好きで、一緒にでている残り時間我々を見ながら心の中でカウントダウンをしてしまったりする。