意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

なりたい自分になるために、なりたい自分のスケールを小さくする

初日の出を見るということになり、とある場所へ行ったらそこがとあるアニメの舞台の場所だったようで、その筋の人たちがたくさんいた。トイレに行こうとすると男トイレのみが外まで列を作っていて私は戸惑った。小便のみを取り上げれば男の小便の手間は女に比べてかなり簡易だから、列をつくるなんてまずないのである。列をつくるときは、女トイレはかなり悲惨な状況のときのみである。下手をすると女が男トイレに列をつくるときもある。あった。もうそういうのは私が子供のときにしかなかった光景かもしれない。

昨日はいつも通り記事を更新したあとに、短歌の締め切りの日であることに気づいて焦った。別の人が投稿していたのを運良く目にして気がついたのである。実は今月はかなり早い時期にいくつかは書いていて、早すぎるからゆっくり考えようと思っていちど下書きにしたのだった。そういう馴れないことをするから、うっかり忘れるのである。私の馴れたやりかたは、書き出したらだいたいその日のうちにぜんぶ書いて投稿するというものだ。私の場合、考えても考えなくても書けるものはおんなじだというポリシーというか考えがあるから、いっぺんに書こうが分けて書こうが同じなのである。確かに書き上げたものを見て「なんかわけわからん」みたいに思ったが、結局後から書いたものも「わけわからん」だからお互い様だった。「わけわからん」と言っても例えば「おきゅわんひー」みたいな完全オリジナル名詞とかではないから、何人かの目に振られれば、そのうちの誰かの記憶に引っかかることは可能だ。誰か、の数だとか割合を高めるのが才能だテクニックだというかんじがするが、私はあまりそうは思わない。