意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

1日ゲームをしていた

私が中学生のときにやった伝説のオウガバトルというゲームを3DSにダウンロードして近頃やっている。そしてなかなか神経をつかうゲームだということを思い出した。操作はわりかし簡単だがレベルを上げすぎると色々支障をきたすので戦ってもいい人とダメな人というのを自分のチームの中につくってその中のある程度ならOKですよという人もいるのだがなんせ敵は筍みたいに次から次ににょきにょき出てくるから気を抜くとどんどん強くなってしまう。どうして強くなるのがいけないのかというと民衆の目というのがあって敵とのレベルに差が出てしまうと弱いものイジメみたくなってしまい暗黒道におちてしまうのである。しかし何にせよ敵は筍だからこっそり汚れ役チームをつくって裏でがんがん人殺しをさせるのである。そういうところが妙にリアルなゲームである。しかし強くなりすぎることに制限をかけるシステムは不評だったのか続編のタクティクスオウガというゲームではその辺はずっと緩くなって味方同士でトレーニングもできてメキメキ強くなっても咎められることもない。確かに敵よりやたらと強くなるとゲームの「作業感」は一気に増す。というかこのゲームのトレーニングはいわゆる「レベル上げ」だがこれこそまさに作業で単調の極みである。今のゲームはこういうのはあまりないと聞く。私が十代のころはレベル上げは当たり前の風潮でその作業が好きだという人もいた。その人は警察官の息子だった。私は好きでも嫌いでもなかった。しかし私はRPGなんかは考えもなく力で突っ込むタイプでたとえば相手を眠らせたりとか魔法を封じたりとかまどろっこしくてやってられない。