意味をあたえる

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命の尊さ

家畜についての記事を読んで私が家畜に対する考えが以前と変わったことに気づいた。サピエンス全史で家畜の歴史みたいなコーナーがあって過去には牛だかヤギだかのお乳にトゲトゲをつけて子供が乳を飲めないようにしてそれを人間がもらうみたいなのが紹介されていて残酷は残酷だった。私はそれまで牛の乳は一年中ところかまわず出るもんだと長閑に思っていたが結婚して子供ができると妻はそのときだけ母乳が出てもちろん女が四六時中母乳まみれでないことは知っていたがつまり牛にしたってそうなのである。


しかし一方で世界でもっとも栄えている植物は小麦であるみたいな記述もあって生命というものの存在目的はどこまで拡張するかであると定義すると残酷さは些末な問題に思える。ひよこはオスばかりがすり潰されるがひよこ自身がかわいそうとは思わない。私は私自身が死んだらかわいそうと思うかと自問したがやはりそういう感情はわかなかった。一方全体のために死ねれば本望とか思わないがやはり今でも少しは人類の拡張に寄与できればという思いはある。


命の尊さとはなんだろうかと唐突に思った。なぜ命の尊さは教えられたり気づかされたりするものなのだろうか。教えたり気づかされたりということは自分以外の命についてはぞんざいなのがデフォルトということである。あらゆるリスクに対してお互いが尊重しあうよりも出し抜いたり割り切ったりするほうがうまくいくということなのだろうか。これは根本の話である。