意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

人格と行動をわけて評価するのはむずかしい

公でも私でも人格と行動をわけて考えるのがフェアであるのが望ましいが人格に引っ張られないよう気を張るのはほんとうに疲れる ざっくばらんに言い直すと嫌いな人を正当に評価するのは骨が折れる 折れるというかこれは大きな視点に立つと嫌いな人が良い行いをしたときに自分の他人を見る目が良くなかったということになってしまう自己否定を受け入れられない自己愛なのかもしれない 何にせよ自分が「嫌い」と思った人が愚行に走ると安堵する 逆に何か悪いことが起こると「その人が絡んでないかなあ」と期待してしまうのである 昨日それを口にしたらそれはどうなのと軽く引かれた 確かにそれは品の良い行いではないけれど私はほどほどに下品な人間と思われたいからたまには感情に走るようなことを口にするのである 感情至上主義とまでは言わないが人が感情を克服するのはまず無理だと思っているから「私はいつだってフェアなんですよ」みたいな振る舞いを目にすると虫酸がはしるのである