意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

日本人としての私

あるいは日本人という前置きは浅はかかもしれないが人とのかかわりで「これができない」みたいな主張をすることが多い それは相手の「そんなことないですよ」を引き出す誘い玉であり私も私ができない人間だとは思っていない とうぜんできないこと及ばないことはたくさんあるがそれを認められる私が尊いと思っている
だからある一定数いる私の「できない」に対し「そうですね」と肯定する人に出くわすと「しまった」と思う この手の人は人間関係をランク付けするのが好きらしく、好きというか上下をはっきりしないと落ち着かないらしく一度それが固定すると簡単には揺るがない 私は確実な根拠もなく下にセットされるのは愉快ではないがそれでもそれは相手の評価の問題だから気にしても仕方ないと思う だがセットが完了するとアドバイスや注意が始まるから「ああやだな」と思う 私はアドバイスなんてするのもされるのも嫌いだ 他人に偉そうに言うのは心底気持ちがいいものだが後から振り返れば嫌悪感しかない 私が他人に対して主張したくないと思うのは以上の理由からである バカと思われているのが理想だ しかし私にも感情があるからたまには言い返してしまう 愛想笑いも疲れる ちなみに言い返さないとこの手の人はどんどん話のスケールが大きくなるから滑稽だ 終いには千里眼か神にでもなりそうな勢いである だから本当にその人のことを思うのならどこかで言い返したほうが望ましいのである 最終的にその人の正しさで押し切られてもどこかで我に返るのである そういう意味で感情のぶつかり合いは面白いのである 私は感情もまた嫌いだがそれでも感情の効用というか役割というかそういうものを認めないわけにはいかないのである


私の子供が良い成績を取ったときに周りに褒められたときに謙遜すると聞いて私は「謙遜なんて気持ち悪い」と言ったら次のときには「当然だよ」みたいに答えたら今度は「そういうのってかんじ悪いよね」と拒絶されショックを受けた 私はそれこそ人間関係の妙だよと感心したが私もそれに振り回されている もっとスマートに自分の能力を見せつけられるようになれればいいが