意味をあたえる

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白髪

ここ一年で白髪が増えた。以前も一本二本側頭部に確認することがあったが手でわしゃわしゃすると見えなくなった。先に白髪が増えたのはひとつ年上の妻の方で一時期しょっちゅう私に「白髪が目立たないか?」と確認してきて鬱陶しかった。全体の一分にも満たない白髪の量を判別するほど詳細に彼女の頭を認める人など世間にはそういるはずもないから私はいつも「大丈夫問題ない」といい加減な返事をした。そういう態度に出た手前今更私の方が白髪の一本や二本で大騒ぎするわけにいかなかった。とはいえ前髪にひょろっと長いのが紛れていてこれはみっともなかった。抜くなり切るなりすれば済む話だがそれは逆に老いを認めたようで面白くなかった。子供の頃よく母の白髪を頼まれて抜いた。白髪なんて大人はみんなあるものだと思ったし母はそれほど美人の女でもないからそんなことを気にするのは滑稽だった。大人になれば白髪なんて当たり前だと思っていた。あと男女問わず大人はみんな脇毛が生えているものだと思っていたら小六の女の担任があるときノースリーブを着てきたときに脇を見たらきれいに処理されていて私は衝撃を受けた。衝撃を受けた私はチン毛はまだだったがあるとき便所で隣のクラスの下品な男からチン毛は玉袋の裏から生えることを教わり実際に見せてもらった。いくらか生えていた。それから少しして私も裏側を覗いてみると私も同じように生えてきていた。そこからは早かった。よく白髪の話をするとチン毛に白髪が混じっていたときの衝撃みたいな話を聞くがあれも同じように裏から白くなるのか。


友達も人によっては白髪が目立つ人もいた。自分の白髪よりそういう人の白髪の方が自分の老いを実感した少し前に髪を染め髪型も逆立てるようなものにしてもらったがふと今日なんか出かけるときにはちょっとしんどいとも思った。たまたまそういう気分だったからだろうか。子供の付き添いで埼玉医大という場所に行きそこは坂ばかりの砦のような埼玉でいちばん大きな病院で埼玉の人は「医大」「医大」と呼ぶが実はいくつか離れた場所にあってどれを指しているのかよくわからない。大人になって初めて知った場所もある。とにかく坂ばかりでうんざりする。駐車場もせまく柱にぶつけそうになった。鉄骨のその柱には絆創膏が貼ってあって子供が「誰かぶつけたときに貼ったのだろう」と言い子供はさもうまいこと言ったと得意だったが私はそんなに面白くなかった。地元に山岸という歯医者がいてそれの物まねを坂を下りながら子供がしてそっちの方が面白かった。病院はやたらと閑散としていて気が滅入った。蛍光灯も二本入るホルダーに一本しか入ってなくて経費削減なのだろうがこんなところで重病の告知とかされたらなお滅入るだろうと思った。三階から入って一階から出た。こんななぞなぞみたいなことができるのは斜面に建物が建っているからである。結構飛び降り自殺とかもあるらしい。

がんばったって結果が出なければ意味がない

NHKの朝ドラ(録画)を鑑賞していたら主人公「すみれ」が娘で従業員の「さくら」にタイトルのようなダメ出しをしていた。さくらは親子でペアルックのエプロンをすみれたちに提案したかったが実物を作るのが間に合わなかった。他の人たちは程度の差こそあれ自分のアイディアを形にしてきていたのに。すみれはさくらに「なめてんの?」と言い放ち傷つくさくら。しかしその晩さくらは夜通しエプロン(大)(小)を縫い上げるのだった。風呂から出た父は「風呂出たぞ」と廊下からさくらに声をかけるがさくらの反応が鈍く心配になって中を覗くとさくらはエプロンづくりに没頭していたのであった。これにはさくらの雇用主でもある父親はにっこり。さっそく配偶者のすみれにそのことを伝えるのであった。


私がまずありえないと思ったのはさくらが父親のあとにすぐ風呂に入らないことであった。私は朝ドラをちょこちょことしか見ていないから判断がつかなかったがこれが冬とか寒い季節なら湯が冷めてしまう。冷めたらまた沸かさなければだからガス代が無駄だ。さくらの自己満足の仕事がどのくらいの付加価値を生むのか知らないがガス代を考慮しないのは愚である。これが独身時代の私であったら風呂の間隔があくことになんの違和も抱かないが結婚した今では我慢ならない。我が家では風呂が仕事より勉強より優先される。仕事は言い過ぎかもしれない。しかし私がもしも自宅で事業を行っていたら間違いなく「仕事なんかしてないで風呂に入れ」と注意される。おかしいのかもしれない。私の実父母は風呂にかんしてはまったくの無頓着で父母自体が朝風呂朝シャンは当たり前だった。冬の朝にシャワーを浴びたいと言えば「風邪を引くからちゃんと風呂を沸かせ」と怒られた。色んな考え方がある。どちらがいいのかわからない。しかしドラマの中のさくらの家は金持ちだからガス代なんかいちいち気にしないのだろう。


残業についての記事を定期的に目にする。残業0は確かに理想だが実現するには従業員側のセンスも要求される。終わりが決まっているのだから特に夕方があわただしい。私は残業のない職場にいくつか勤めたが定時で帰るには強烈なリーダーシップをもった人が信念をもってのぞまなければできない。加えて成果に無頓着じゃなければ難しい。間違っても仕事に愛着を持ってはいけない。できれば室内も汚れていたほうが「早く帰りたい」と思える。変に環境が整うとダラダラと居残ってしまう。私は能力よりもいかに妥協できるかとかいかに仕事に希望を見いださないかというほうが重要だと思う。


一方でがんばってやり遂げるみたいなのが礼賛されるのは冒頭の「さくら」が徹夜でエプロンを仕上げたようにドラマでそういうのが美しく演出されるのも大きい。がんばっている人は美しい。当たり前だと誰もが思うがいい加減そういう価値観が相対化されても良い頃だ。徹夜明けの「さくら」は重役たちが会議している場に乗り込んで自分のアイディアを披露する。「悪くないんじゃないの?」と一同。私が他の従業員なら「冗談じゃない」と思うだろう。納期を守って発表しボロクソ言われた一方で社長の娘はもてはやされる。末端の従業員が重役たちに好き勝手言われるシーンは見ていて切なかった。私も似た経験をした。30歳前に転職活動をしたときにぽっちゃりのスーツの髪をひっつめた女に「この程度じゃいらないです」と言われても笑顔で「がんばります」と意思表明して馬鹿みたいだった。面接という制度は極めて馬鹿らしい。にこやかに終了しても最後には「社長からOKがもらえなくて」みたいなことを幾度となく言われた。今勤めているところも面接があったがアロハシャツを着たおじさんが「テストで点が良かったから」と言ってその場で採用を決めてもらった。アロハシャツのおじさんはカタギじゃなかったらしいが。

書きながら考える

“自分の頭“のおこがましさ - 意味をあたえる

昨日の記事について最初「自分の頭で考えることのナンセンスさ」という主張があったが、例によって私は主張というものには重きを置かない書き方を良しとしているので、いつものように話は昔の職場でのおかしな出来事になった。それでも頭のバックボーンで「どうにか自分の頭に戻らないものか」という意識が働いていて、ちょうど最初の偉い人が「自分で判断するな」と私にアドバイスし、これこそひょっとしたら“自分の頭“ではないか、と思い偉い人の人間性に感心したが、すぐに自分で「自分で判断しないのは不可能」と書きさらに女の先輩が「あなたがそうしたいならそうすればいい」なんて言ってきてどっちつかずになった。私は自分の主張が折り曲げられるのをどこか愉快なこととして捉えていた。こと物を書くことにおいて自分の主張を通すのはかなりの無理が生じる。それだけ自分の内側が混沌としていて、例えば「アンパンが好き」という自分の感覚は同時に「アンパンが嫌い」という思考を内包している。だから世の中の「筋の通った」というのはただの美意識の問題であって、本当は幻想なのである。私は今朝小倉サンドとジャムサンドとピーナッツサンドで迷ってピーナッツサンドにした。


私は自分の過去の出来事を書きながら、ずっと自分の頭で考えるとは何なのかということを自問していた。これは編み物をしながらクロスワードパズルを解くみたいなのに似ていて、日常ではよくあることだったが、読む方はたまったもんじゃなかった。だから最後まで読む人は滅多にいないしいたとしたらその人はかなり私の書くものに心酔しているから過激なことを書いても大目に見てくれるだろうと思い最後は「自分の頭で考えるのは幸せなことです」と結んだ。どうしてこれが過激なのかは元の記事を読んでください。私はたくさん書いたから疲れちゃったのである。休みだったが私は比較的不機嫌だった。


だからとにかく「自分の頭で考えることの幸せ」は昨日のあの流れでしか書けなかったからああいった私の苦労話もまるっきり無駄ではなかった。私は「色んな人に怒られた」みたいなことを書いて苦労自慢をしているようで気が気じゃなかった。バランスをとるために一度はそうやって成長した私だから後輩に対してきつく当たるのが誠意であると書いたがすぐに消した、案外そう思っている人は多いのである。それよりも私が驚いたのは死んだ先輩について「死んだ」とあっさり書くことができたことで私はあれからかなりの時間が流れたことを悟った。あのことは少しも特別なことではなかった。

“自分の頭“のおこがましさ

これを読んで小島信夫の「小説家は誰だって自分ひとりの力で書いてると思っている」という言葉を思い出した。私の好きな言葉である。つまり小説家は誰でも勘違いしていて本当のところ自分ひとりの力で書いていないということだ。しかしだからといって「みんなで書いている」というのもダサい。「みんな」て究極にダサい。だから私としては「ひとり」の対義語が「みんな」であっては絶対にならない。じゃあひとりの力でないならなんの力だろうか。


就職した最初の職場で偉い人に最初に言われた言葉が「自分で判断しないように。必ず周りに訊くこと」だった。そのときは「そうか」と思ったが新人にするアドバイスとしては珍しいものだった。職場が特殊だった。3人しかいなかったから自分で判断しないわけにはいかなかった。しかもそのうちひとりは私が入ってから徐々に頭がおかしくなった。最後は死んでしまった。だからまともな人は私ともうひとりでその人が野球観戦とか行ってしまうと実質ひとりだった。仕方なく本部と呼ばれるところに電話すると「なんで俺に訊くんだ」と怒られた。糞ったれだったなあと思う。毎回怒る嫌な人がいてしかしそういう人は大抵その時点でもうまともでなく間もなく職場に来なくなったりあとどこかに転勤させられたりした。その後に会ったら「あのときはきつく当たってごめんな」とか言われて私はそっちのほうが気持ち悪かった。


もうひとつ先輩の女の人に言われたのがあるとき新人は応接室のテーブルを拭くという業務があったのだが(時代をかんじる)ついでに先輩の机も拭いた方が新人らしくていいんじゃないかと思い、拭いても良いかと訊ねたら
「あなたがそう思うならそうしなさい」
とはいともいいえでもない答え方をされ衝撃を受けた。私はこれが社会人の洗礼かと思った。そのときは思わなかったが実は上記の偉い人の「判断するな」を完全に否定しているのである。いちいちつまらないことを訊くなということである。これはきついが数日前の記事で書いたが私はファッションコミュ障だから実はいちいち人に訊かないスタイルは自分に合っていた。人に訊かないのは確かにきついときもあるがそういうときは「どっちにしたって怒られるのだからまあいいか」と思うようにしている。しかし私は「もっと訊いて」と怒られたことはない。


今の会社に入って一年後くらいに後輩が入ってこの人がこれでもかってくらい自分で判断しないから再び衝撃を受けた。私が思うにこの人は大きな店の販売員を契約社員でやっていたからきっとマニュアルとかシステムが整備されていて判断を仰ぐ経路みたいなのもしっかりしていたから判断する場面がなかったのだろう。一方の現会社はルールみたいなのがほとんどなく結果オーライな場所なので質問自体がナンセンスだがプライドが高い人なので都度私が責任を負うことにした。私はこういうぶぶんでは実に要領が悪いのだ。私はあと無法地帯のような職場のほうが合っていてプロセスややり方にこだわるのは鬱陶しくて仕方がなかった。


自分の頭というのはどこまでを指すのかを考えるのは面白い作業だがプライドの高い人は耐えられないし白黒はっきりさせないと気が済まない人も全部白にしてしまうだろう。しかしソクラテスにしてもブッダにしても最後は「わからなくていいしわからないのが正解」みたいな境地に行くのだから自分の領域を強調するのは少なくとも知の否定だろう。みんな自分の頭で考えてどんどん馬鹿になって搾取されよう。それが幸せというものだ。

組木パズル

組木パズルみたいなのが好きで、前にガチャガチャであったから買ったりした。がちゃがちゃだから比較的小さくて難易度も低かった。しかしからくりを見つけたときはときめいてしまう。ガチャガチャといえば以前くにお君の大運動会のガチャガチャがあって「これはほしい」と思ったがそのときは子供が一緒にいて私の子供はまだ小さかったから私が買えば自分もほしいと言い出して、その子供のぶんの代金を惜しがって「また今度買いにくればいいや」と思ってそれは近所のショッピングモールだったから今度と言ったって下手すりゃに2、3日後の話だからまさか買えなくなるとは思わなかった。近所というのは道一本で2、3キロくらい行った道でそれは近所とは言わないと言うかもしれないが都会の人が定義する「近所」だとパン屋と地区の集会所しか私の家の周りにはない。少し歩けばヤマダ電機がある。私は年に一回くらい散歩をしたときに帰りにトイレを借りた。「やまーだ・まーだまだ・負けないぞー♪」の例のBGMを聞きながらオシッコをした。小便器の上に浄水器のポスターが貼ってあった。いつもそうだがここの店員は元気がない。パートのおばさんも幸の薄そうな人ばかりだ。財布を持ってこなかったから買い物はしなかった。散歩のことはどこかの記事に書いたと思う。


とにかく私はくにお君のガチャガチャを買いそびれてそれがここ数年のいちばんの後悔だ。私は物を欲しいと思うことが滅多になく、たまに「ほしい」と思うとすごく明るい気持ちになる。物を欲しくなると行動的になる。くにお君は惜しいことをした。以来ガチャガチャは熱心に見ることにしている。しかしガチャガチャでほしいと思うことなんて、それこそくにお君が最初で最後だ。冒頭に組木パズルを買ったと書いた。しかしそれも「組木パズルを好きな私なら買っても後悔しないだろう」という打算と組木パズルを好きだという私のパーソナリティを維持するための行為なのである。パーソナリティはがんばって維持しないと簡単に私が私でなくなってしまう。気を抜くと私は何も欲しくなくなってしまうのだ。

お疲れさまですが鬱陶しいお年ごろ

自分の父親が頑固なほうなので、それが生来のものなのか加齢のものなのかわからないが私はそういえば勝手に加齢のためと思ってそうはならないよう気をつけた。気をつけてどうにかなる問題からわからないがひとつの生き方として他人の顔色を見て生きるのいうのがある。他人の顔色ばかりうかがうのはよくないとよく言われるがそれは現代の個性尊重主義の弊害であるから実はそんなに悪いことではない。私は「私らしさ」の類の言葉が嫌いだ。「私らしく生きる」なんて卑怯な言い回しをせずに「嫌なことから距離をとって生きます」と言えばいい。後ろ向きの言葉逃げの言葉が人を駄目にするというがこれらは表現の違いにすぎない。言い回しが大事なのかもしれないが私は本質のほうが余程大事だ。だから私にとっての理想は我を通そうとする人にいかに気持ちよく道をゆずるかという一点にあるのだがやはりおかしいと思うことには黙ってられない。


年のせいかはわからないがお店の人や電話の相手の態度がだんだんと目につくようになってきた。私は昔コンビニでバイトをしていて安い時給だったからその程度の仕事をすればいいと思っていたからおしゃべりばかりしていたので店員の態度にいちいち腹を立てたりするのはお門違いだと思っていたがそれでも目に余る態度はある。ちょっとそりゃないんじゃないかみたいな接客をされると「ちょっとそりゃないんじゃかいか」と言いそうになる。喉まで出掛かってこらえる。若い学生みたいな人なら言わずに良かったと後から思うが胸元を見ると「オーナー」と書かれた中年男性でこれはいくらなんでとひどいと思うがそれでも言わなかった。代わりに相手に合わせるというのはやる。ぞんざいな態度でくるならこちらもそういう態度にでるまでだ。昔やっぱりコンビニでやっていたときに逆にレジにくる度に「お願いします」とか「ありがとうございます」と挨拶する若い男性客がいて私もこういう客にならねばと思いいつも商品をレジに通すときには「お願いします」くらいは言うようにしている。その若い感じの良い人がいつもと違う時間にやってきてそのときには女の人を連れていたのを見たときに私はなんだか微笑ましい気になった。ちびまる子ちゃん風に言うなら「アンタ本当に良い人と出会えたね。この人はアタシみたいなただの下っ端店員にもきちっと挨拶してくれる心の気持ちよいヒトなんだよ」と彼女に伝える感じである。


話を戻すが最近では仕事の電話で同僚に「お疲れさまです」と言われるのもどうかと思うようになってしまった。朝から立て続けに電話を受け若い人に「お疲れさまです」と言われる。私は「おはようございます」と返す。本社のとある部署では部内ルールで「お疲れさまですは絶対に使わない」というのがあって自分らの自己満足でやるなら一向に構わないが電話で「お疲れさまです」と言うとかぶせ気味に「こんにちは」と挨拶してくる。「こんにちは」なんて散歩のときにしか使わない挨拶なのだから三時になったら紅茶を律儀に飲むような人たちのもので私たちは水ばかり飲んでいるから「こんにちは」なんて真顔で言えない。だから馬鹿じゃねえのと思い「「お疲れさまです」とあなたは言いますが私は疲れてないです」と言われたら「このしっちゃかめっちゃかな世の中で疲れを感じないなんて貴方は相当鈍感な方なのですね」とケンカをふっかけてやろうと思うがそんなことは一生起きないだろう(と書くと案外起きる)。

トラックの運転手が気さくに話しかけてくる

いつも荷物を運んでくる外注のトラック業者の人が年始くらいから代わり、新しい人は年寄りで前は比較的若めの人だったから年寄りというのは大抵どんくさいから嫌だった。若けりゃ何でもいいというわけでもなく、証拠にもうひとりのドライバーは私よりも若いがトイレを借りてばかりいる。別にトイレを貸すのを渋るわけではないが毎回のことだと、
「ああ、我が社のトイレがルーチンに加えられているのだな」
とやるせない気になる。ルーチンの「チン」は「チンコ」の「チン」である。おまけにいつもひょうひょうとしているから私たちの間では「妖精」と呼ばれている。妖精は荷降ろしが雑だから一度叱ったことがある。こんな雑なことでは便器もだいぶ汚しているのではないかと暗い気持ちになる。トイレは私たちが交代で掃除をしている。自分で掃除をするなら、必然的にきれいに使いそうなものだが最近トイレの小を露骨にはずす人がいて困るという話を数日前に書いた。自分の番じゃないからOKという理屈だろうか。卑怯である。卑怯であるが、逆にたとえ自分が掃除当番でもかまわず外すという人だと怖い。人間にとって損得勘定は大事だ。そういうのが壊れている人はとらえどころがない。


新しい年寄りの運転手、仮に新老田さんと呼ぶことにすると、新老田さんも初日に
「トイレを貸してください」
と言ってきたので「またか」と思いながらも「案内するのでついてきてください」と私が先陣をきった。実は私の勤め先は平屋で、多くの平屋がそうであるように建物が長細い。トイレに行くためには事務所を突っ切らなければならず、新老田は気まずそうにしながら
「トイレって外なんですか?」
と訊ねてきた。
「中ですよ」と私。
どうやらあまりに遠いから外のトイレに通されたと思ったらしい。前に見た映画に、昔のアメリカでは黒人用のトイレというのがあったが、新老田もその類の虐げられる側のトイレに案内されたと思ったようだ。私は新老田にこのトイレは私たち従業員も使っていて、毎日交代で誰かが掃除しているから清潔だと説明した。私が入社した頃はトイレ掃除は週に二回だったが、新しい部長が、ブロック内は全営業所毎日トイレ掃除を義務づけた。どこにでもトイレ掃除神話を崇拝する人はいる。しかしトイレは週2の頃より汚れるようになった。どうせ翌日の人がやるからと、手を抜くようになったからである。以前ならどうしても仕事が詰まったときなどは翌日にかえることができたが、掃除当番も詰まっているから、決められた日に必ずしなければならない。よってやっつけで掃除をする人が以前よりも増えた。やがて部長も失脚したが、トイレ掃除は以前のままだ。悪習は残るのである。


新老田はそれ以来トイレを借りることはなくなった。どこか別の場所で用をたすようになったらしい。一方でどういうわけか私に気さくに話しかけるようになった。私が一週間くらい事務所から離れたときなどは「最近お見かけしませんが」と心配してくれた。私は事務所と作業場と半々で、あまり事務所にこもると作業場の者たちが不機嫌になると説明した。新老田はまた、新潟ではたくさん雪が積もっていたことを教えてくれた。道路もすごいのかと私が訊くと、道路は除雪車がいるから大丈夫なのだそうだ。新老田は寒いのが苦手なので、早く夏になってほしいと言った。私も同感だった。