意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

写真

妻や義母はどこかへでかける度に我々を特定の建造物や物の前に並べ記念撮影をする。そのたびに私はしかめ面をしたり変顔をしたりまばたきを装ったりする。職場の人にその話をしたときは「年賀状に使われるのが嫌だから」と理由を説明したがそれは思いつきで実のところカメラを向けられてぴっとキメ顔をするのがちゃんちゃらおかしくてできないのである。ここのところ芸能人が煙草みたいな筒状の装置でビタミンCを吸っている写真をインターネットに上げている写真が話題になっているがビタミンCどうこうよりも彼らのキメ顔が見ていて痛々しい。もちろん彼らは優れた容姿を持っていてそれを写真や映像におさめられるのが仕事なので痛々しい私が痛々しいのかもしれないがしかし自撮りという行為は自意識がにじみ出ていて気色悪い。よく考えると彼らは撮られるプロであって撮るプロではないから私のかんじる痛々しさは一応根拠が成り立つ。およそ写真で見るモデルの人々は自分の容姿についてまるで無頓着なふうにおさまるがそれはカメラマンの腕なのであった。自撮りの写真もそうだし添えられたコメントも気持ち悪い。友達になんとかみたいだと言われたと書いてあるがそのなんとかがちょっと悪っぽくてかっこいいから本人は「そうかな?」とすっとぼけているがまんざらでもないというのがひしひしと伝わってきて吐き気をもよおす。自意識なんて糞食らえだと心底思う。でも誰だってそういうときはあるし嬉しいときこそすっとぼけたいし私だって恥ずかしい過去まみれだからまあいいかと思う。


※どこかの観光地で家族みんなで撮ろうというときに何故か外国の人が撮ってくれたが私のまばたきを見て「ソーリー」とか言って撮り直してもらって以来他人の撮る写真にはいい顔で写ります。

仕事だけだと人生はやい

アプリの天気予報の週間予報がもう8月の終わりまで手が届いていてつらい。別に私に夏休みなど皆無だから関係ないような気がするが子供が休みなら朝起こしたり弁当つくったりしなくてすむからやはり私にとっても休みだ。もうすっかりそういう朝の決められた動作について忘れたが秋になれば思い出すのだろう。粘着テープをはがすみたいに力ずくで起こすのも最初の2日か3日だ。土日にひと息つきながら冬を目指すのだ。しかし冬も早いだろう。人生が早いと不安だ。分析すると仕事がいけないと気づいた。ここのところは帰っても風呂に入ってすぐ寝るから1日の途切れ目がないから一週間が1日みたいになっている。趣味が大切だと気づき昨日はガンタンクキャタピラーぶぶんを一生懸命削った。細かいパーツがぜんぶで80あっていよいよ残り10まできた。実際は72使うから8は予備だ。ガンタンクは左右対象なのでどちらかがはみ出たりすると気にくわない。もっとも組み立てるのはもっぱら子供のほうで私はぶひんをきれいに削って供給する。つまらないかもしれないが私は単純作業が好きだ。それも賃金がともなわないものがいい。お金がからむと絶対に何時までみたいになるからイヤだ。イヤになったらそこでやめたいのだ。イヤになるということは言うほど好きではないのですねとなりそうだがそういうことならそうかもしれない。しかし手を動かしながら音楽を聴くのは最高だ。手がとまっていると私は眠くなるからダメなのだ。そういう風にしていると時間が遅い。世間の人は平日が長くて休日が短いというが私は逆だ。今年は混んでいるところにたくさん行ったから思ったが混んでいるところにいる人は休みのタスクをこなそうとして一生懸命だから早いのではないか。私にとって休みとは文字通りの休みで例えば演劇を見に行ったりしたら休みとは言えないのである。

石鹸

昨日石鹸について記事を書いたがそういえば私は毎日石鹸で頭を洗っている。それは以前行っていた美容院の美容師にそうアドバイスされたがらでその美容院は入り口のところに大きな犬の置物があった。駅通りを歩いたところにある銀行を曲がって少し行ったところにあり入り口の脇には鉄の螺旋階段があって最初の踊場の柵にメニュー表がかけられていた。担当の美容師は女で考えると10年以上そこに通った。最初は別の場所にあって古本屋の2階にあった。確かその古本屋は二号店で一号店は2階にあった。古本屋といっても中古のゲームソフトなんかも売っていたので私は小学校の頃に何度か行った。何度か移転を繰り返し最初はどこにあったのかもう忘れてしまった。あれから道路の拡張があったりして跡地そのものがない。美容院も移転して店舗はきれいになった。担当美容師は結婚して姓も変わったがずっとそこの店にいた。アシスタントが2回変わり最初は大阪の人だったが彼氏が病気らしくそれが理由でどこかへ行ってしまった。その次の人は寄居町の出身でとあるビジュアル系バンドの熱心なファンだったがいつのまにか見なくなった。その後はマダムみたいな人がずっといた。結局そこに行かなくなったのは美容師が二度目の産休に入ったからで一度目はそのまま通ったが代打の男の人がどうにもマッチョな人で最初に肩や背中をマッサージしてしまったら揉み返しになって数日腕が上がらなくなってしまった。あと当時逮捕されたホリエモンをやたら擁護していて私は当時はホリエモンを好きでも嫌いでもなかったが世論がああいうときに私のスタンスを見ることなく経団連の悪口を延々と言う姿に閉口した。私は美容院ではかなり積極的におしゃべりをするしそういうときはあまり気を遣われないほうがリラックスするがやはり限度はあって主導権くらい握らせてほしい。担当の美容師も出産をしてから子供のことを夢中で話す向きがあって私も子供がいるからたぶんこの人は私が100パーセントの共感をもって聞いているんだろうと思ったがどっちかと言えば髪を切っているときくらい子供のことは忘れたかった。


美容師にキャバ嬢みたいなことを求めても仕方がないが。

牛乳石鹸の

話題の牛乳石鹸のCMを見たら割合面白いと思った。それはそれについて書かれた記事を読んだから抱いた感情かもしれずまっさらな状態だったらわからない。さらに私は最初は音声のない状態で見たので「俺の父親は」みたいなくだりは知らず単に回想映像が挿入されるだけだったのでまあ父親を思い出すことはよくあるよねくらいの受け取り方だったが実ははっきり言っていたことを後から知った。


私の父親も仕事人間であまり家にはおらず休みも昼まで寝ていたがそういうものだと思っていたから寂しいとかおかしいとかは思わなかった。一方で父のようになりたいとも思わなかったしまた理想の家族みたいなのもなかった。家族がほしいとも思わなかった。それはいらないという意味ではなく父母弟妹以外の家族の発想がなかったのである。だから仕事に打ち込んで家庭をかえりみない一家の長というのは私の子供時代から問題視されていたがなぜ問題かというとそれは子供がかわいそうだからという理屈なのだが私は子供というのはスケープゴートにすぎず実はただの夫婦の問題だと私は見抜いていた。問題視する妻が問題であり妻を認めようとしない夫の問題なのである。例えば仕事が船乗りだとか単身赴任だとかで盆暮れしか帰らないみたいなケースだってあるのだから子育ては両方の親で行いましょうみたいなのを「べき論」で語るのは浅はかだ。


CMに話をもどすと私は夫とされる人物はこの先も今回のような子供の誕生日をエスケープするみたいなことは行ったほうがいいと思った。それは帰ってからの妻とされる人物の反応が睨みつけ文句を言う程度の比較的軽いものだったからで家族は風呂でさっぱりしたあとにちゃんと誕生日ができた。つまり夫は前後不覚になるほど飲んだわけでもなく完全に反古にするつもりはなかったのである。翌日から再び積極的に家事も行ってくれるようになるのだから大目に見てやればいいのだ。妻にはそういう打算があったから極度に感情的になって矯正しようとしたり逆に理解を示そうとしなかった。


これはこの家族だからOKでありあるいは私の見立てがそうだからOKなのでありこうした夫の行動が我慢できず子供に愚痴ってしまうとかならダメなのである(本当はダメじゃないが)。私は家族内での夫婦の役割とは社会の男女の役割とはちがってもっと局所的でいびつであっていいと思っている。

命の尊さ

家畜についての記事を読んで私が家畜に対する考えが以前と変わったことに気づいた。サピエンス全史で家畜の歴史みたいなコーナーがあって過去には牛だかヤギだかのお乳にトゲトゲをつけて子供が乳を飲めないようにしてそれを人間がもらうみたいなのが紹介されていて残酷は残酷だった。私はそれまで牛の乳は一年中ところかまわず出るもんだと長閑に思っていたが結婚して子供ができると妻はそのときだけ母乳が出てもちろん女が四六時中母乳まみれでないことは知っていたがつまり牛にしたってそうなのである。


しかし一方で世界でもっとも栄えている植物は小麦であるみたいな記述もあって生命というものの存在目的はどこまで拡張するかであると定義すると残酷さは些末な問題に思える。ひよこはオスばかりがすり潰されるがひよこ自身がかわいそうとは思わない。私は私自身が死んだらかわいそうと思うかと自問したがやはりそういう感情はわかなかった。一方全体のために死ねれば本望とか思わないがやはり今でも少しは人類の拡張に寄与できればという思いはある。


命の尊さとはなんだろうかと唐突に思った。なぜ命の尊さは教えられたり気づかされたりするものなのだろうか。教えたり気づかされたりということは自分以外の命についてはぞんざいなのがデフォルトということである。あらゆるリスクに対してお互いが尊重しあうよりも出し抜いたり割り切ったりするほうがうまくいくということなのだろうか。これは根本の話である。

今日死ぬかもしれない

子が夏休み中で毎日昼まで寝るようになり私は夜になってから会う。休み以外は私が起こすのでわずかな時間だが朝顔を合わせる。他人を起こすのは難儀なので休みに入り私はほっとしていた。子供ばかりが休んで僻む大人もいるのかもしれないがそういう理由で私は子供も休んでくれたほうがありがたい。


それが不意に気まぐれで今朝子供のふくらはぎをつかんで揺すったら簡単に起きたので出かける旨を伝えた。私は今日死ぬかもしれないと思った。というよりもし私が死んだら子供はいつもは起こさず出て行く父親がなわざわざ起こして挨拶をしたからあれは別れの挨拶だったと思うと思った。他人が死ぬと人はよく故人と最後に会ったのはいつだったかトークを始める。通夜か葬式で「あの日の朝は特別だった」なんて言いかねない。


村上春樹アンダーグラウンド」でサリンがまかれた電車に寝坊して乗り損ねた人のインタビューがあってその人は朝寝ていたら死んだおじいちゃんが出てきて部屋中をぴょんぴょん飛び跳ねながら「行くな・行くな」と言うから寝坊してしまったというのがあって当人はやはり特別なものをかんじたがインタビュアーの村上はとくに何も言わなかった。それを読んだ私は以来玄関の鍵がうまくかからなかったり複数の忘れ物をひとつずつ忘れたことに気づいて数メートル進んでは引き返すというのを繰り返したりすると
(これは行くなという合図かもしれない)
と思ったりしたが何も起きず昼過ぎには忘れた。真顔で今日は何か悪いことが起きそうだと周囲に話しても誰にも相手にされなかった。話したのは朝でまだまだ何かが起きる可能性はあった。


一方昔見た霊能番組で休みに家族で出かけようとしたら夫が布団にもぐったまま「行きたくない」と言うのを無理に連れ出したらそこは海で夫は最初朝のことを忘れて無邪気に遊んでいたがふと気づくと見あたらなくて探すと深みにはまって死んでいたという話があって妻は無理に連れ出したことを後悔していたら霊能者が故人を呼び出してくれそうしたら故人は「俺が死んだのは単なる偶然だから気にしなくていい」と妻を慰め霊となった夫が霊の存在を否定するような妙なかんじになったが妻は慰められた。

地続きの過去

昨日も過去についてぐだぐだと書いてしまったがまた少し前には大人とは何かについても書いたが大人とは何だろう。


別の観点で考えると私が大人になったのは15歳になる直前の中学3年のときだった。私は9月生まれなので直前とは夏休みでそのとき五木寛之の「生きるヒント」の文庫本を読んだ。「生きるヒント」は私の記憶が合ってるなら花金データランドの本の売上ランキングコーナーで紹介されていてそれを見て買おうと思った。読んだら面白かったが最後の「想う」の章で人生に希望がないと書いてあってショックを受けそのときから私は地続きなのである。地続きというのは逆に夏休み以前は地続きでなくそれ以前の思い出は別世界の出来事で他人事なのである。そこで過去が寸断されその区別が妥当かは今のところわからないがそれが子供から大人になった瞬間ではないかと思う。つまり私はその日から人生と希望について考え続けているのである。考えが継続する限り記憶は他人ごとにはならない。私は友達と飲んでいても恋人と性行為をしてもたぶん「これは希望と呼べるのか」と自問し仕事で取引先に毎日ねちねちイヤミを言われて半泣きで周りの人に仕事を紹介してくれないかと河原で電話をかけたりしながらも「これはアンチ希望なのか」と自問していたのである。


1ヶ月と少し前に叔母が亡くなりその通夜と葬式のときに祖母が骨折していたという話を母から聞いた。叔母とは正確には大叔母で祖母の妹である。叔母の死体が家に帰ってきたとき夏だったので腐敗を遅らせるために部屋に冷房を目一杯きかせたら祖母が冷えたので台所に移動しそこで居眠りをして椅子から転げ落ちたらしい。ろっ骨を骨折しろっ骨を骨折するとかならず
「ろっ骨ってじっとして治すしかないんだよね」
みたいなトークになる。