意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

中洲

今朝子供を駅まで送ったとき子供とは高校生なのだが広めの交差点にはいったときに右折レーンができるときにその直前が進入禁止みたいな白線が斜めに引かれて中州みたいになるじゃないですか? そこにエイだかサメのヒレみたいなのが落ちていて
「おや?」
と思った。しかし朝だし人を乗せているからそのまま通り過ぎた。帰りはぼんやりしていて見なかった。中洲の角にはパン屋があってそこは比較的新しいパン屋で三角形の土地に店舗があって駐車場がとんがっている。入り口の反対側が絶壁になっていて怖い。以外に高低差があるのだ。下側にどぶが流れていてその中洲に紫色の羽の蝶を見たことがある。昆虫を河原で写真に撮ったことがあるが写真にとるとどこに目当ての昆虫がいるのか確か真ん中にくるように写したのになかなか見つからない。注意深く見ると見つかるのだが。つまり昆虫はこのように鳥や外敵から身を守っているのだ。あんなに鮮やかな色でも鳥からしたら紛らわしい。カメラのレンズはさながら鳥の目のようなのである。父がバズーカみたいなカメラを持っていてそれで私の弟がこんど結婚するからそれを二台肩からかけて写真におさめると言うのだが弟は
「プロが撮るのだからいらない」
と言っていてプロ志望だった父はしょげていたがそれを悟られないよう強がっていた。もう老いてきたのでしょげても強がってもかつての迫力はなかった。弟も弟である。もっとも新郎の父なので招待客をもてなさなければいけないからカメラどころではないはずだ。弟は100人呼ぶんだと張り切っている。私はせいぜい20人とかの式だったので父も片手間で写真を撮ることができた。プロというのもいるにはいたが後からできたアルバムに父は「腕が良くない」とケチをつけていた。私はどちらでも良かった。なんにせよ私は目が細いしどうやら人よりよくまばたきするらしくそのため半分くらいは目をつぶっている写真で妻ががっかりしていた。そのころ妻は新妻だった。そのあと友達が家に来たときにアルバムを見せたらみんなぺたぺたと写真を触りアルバムが指紋まみれになった。友達の手は汚かったのである。

趣味の話はつらい

一つの趣味でしか付き合えない男がウザい

趣味の定義によるが私はおよそ無趣味の人間で最近まではどうにかして趣味というものを自分の中に定着しようとしたが私は趣味をもつということに恐れを抱いているのではないかとすら思うようになった。およそ半年くらい前にはボルダリングをしたがスタッフや場所の雰囲気に嫌気がさして行くのをやめてしまったがそれをあるとき友達に話すと
「他のところに行かないの?」
と不思議そうにされ「行かない」と平然には答えたが内心は「はてな?」という気持ちになった。同時にどこか侮辱されたような屈辱を味わったような感情を抱いた。前述の「はてな?」はどうして自分の中に「別の場所をさがす」という選択肢がなかったのか。私は実のところ行かずに済む理由を探していただけなのかもしれない。侮辱されたようにかんじたのはそれを見透かされたようにかんじたからである。以来私は趣味というものに恐怖をおぼえるようになった。


趣味に限らずたとえば他人の親と子育ての話をするのも苦手だしあと同年代の人と「これ懐かしい」みたいな話も苦手だ。ラジオを聞きながら仕事をしていて自分が10代のころに流行った曲が流れると同僚ははしゃぐが私は実のところ半分もわからない。中高時代は米米CLUBばかり聞いていたから。しかし「知らない」と言うことができずに「忘れちゃったなあ」とごまかしたり場合によっては「うわぁ」と無理に懐かしがったりする。そういう心中の気の抜けないかんじが「うわぁ」である。どうして正直に生きられないのか。またどうしてそういう他人と距離をとらないのか。正直うんぬんはともかく距離をとらないのは私が孤独をちっとも愛さないからである。私は自分が話の主導権を握る限りなるべく今起きていることに対する話をする。過去の話もするがたいていは自分の失敗談である。

カラスの時間/父の設定

朝に走ったらやたらのカラスに遭遇した。日曜日で平日よりもいくらか遅い時間に走った。8時くらい。思ったよりも人通りはなく普段は6時ころは犬の散歩やウォーキングしている人が多い。ウォーキングのあの肩に力の入りまくったフォームがいかにもウォーキングしてますという気合いが伝わってきて近づきがたい。走っている人はあまりいない。今日は日曜日でもう8時すぎたから人も表に出ているだろうと思ったがそうでもなかった。代わりにカラスがパンのようなおふのようなものをアスファルト上でついばんでいて私が近づいても物怖じしない。母の話だと弟が小さいころにカラスに襲撃されたらしい。私は大人の男子だがこれは気を入れなければやられると思いながら近づくとやがてかったるそうに羽根を広げて飛び立つ。飛び立っても2メートルくらい先のフェンスの上に乗ってやり過ごそうとする。もはや彼らは何もかもがわかっているようだ。そこまで大げさに逃げ去らなくても人間側が執拗に追ってくることはまずない。しかし人間の顔を立てるために一応ポーズとして道を譲っておこう。そんな雰囲気が彼らの仕草から伝わってくる。


用があって実家に行った。正確には用は別にあって実家によって子供を下ろして出かけた。2時間はかかる用事だと思ったら1時間と少しだった。足が汚れた。そういえば朝は車の調子が悪かった。もうすぐバッテリーが寿命をむかえそうだ。実家にもどると父が新しいスマホに機種変していて「メールの設定してくれ」と頼んできた。昼食はうどんであった。父はスマホを買う度PCを買う度に私にメールの設定を頼んでくる。メール命なのである。端末を借りて早速設定を始めるが私と同じAndroidでも私とのとはまったく勝手が違って面食らった。父はドコモ契約のアローズである。ホーム画面の半分以上が「ドコモなんとか」で通知のほとんどもそれである。「殺人トング」が目にとまった。例の食中毒事件のことを言っているらしい。ぜんぶ消し去りたいがスワイプしても次から次にわいてくるし自分のじゃないからとちゅうで諦めた。私は通知が埋まるのが気にくわないしあまり野暮な通知だとアプリそのものを削除している。アプリ自体の数も極力少なくおさえたい。例のドコモのアプリは消すこともできないのだろうか。それだけでもあまりにわちゃわちゃしすぎてこれをスマートと呼ぶなんて何の皮肉だよと思う。

伝説のオウガバトルを買おうか迷う

午後は掃除をした。合間に3Dsでダウンロードした「レッドアーリマー」をやっていたら子供が「貸してくれ」と言い出し子供は「レッドアーリマー」がやりたいわけではなく芸人の「よゐこ」がマインクラフトをやっている動画を延々と見ている。下でごろごろしている妻が「チャレンジはやらないの?」というので伝えたら「いくつやるの?」と訊いてくるので「100個でも1000個でもお好きなように」と伝えた。タンスの上に散乱していた何年か前の父の日にもらった「お手伝い券・その他」をまとめて升の中に入れた。升とは去年の夏に行ったイエローモンキーのライブで買ったグッズである。ヒノキのにおいがする。中におかきが入っていた。お手伝い券でいちばん多いのが「早寝早起き券」であった。子供が早寝早起きしても私には何のメリットもないが当時からしょっちゅう私が「寝ろ・起きろ」というから早寝早起きをしたら親が喜ぶと勘違いしたのである。私の子供は大変に夜更かしをする。私が子供のときは22時からの「とんねるずのみなさんのおかげです」を見るのですらかなり難儀したのに今の子は平気で24時過ぎまで起きている。最近では私のほうが先に床につく。未就学のころに寝かしつけていたときの習慣が私だけ今でも続いている。


レッドアーリマーは買ったその日にクリアーしてしまったのでまた次を買ってみようかと思いそれなら「伝説のオウガバトル」なんかどうかと思った。これは調べたら私が中学二年のときに発売されたソフトで私はたしか中学一年の夏にスーパーファミコンを買ってその半年後にはこれをプレイしていたらしい。一体どこの店でどんな表情で購入したのかまったくおぼえていない。中学二年のときは優しい担任だったので私はしょっちゅう遅刻していた気がする。家から学校まで5キロくらいあって自転車で通っていた。冬になると向かい風がきつくみんな立ち漕ぎをした。一年のころはまだ真面目で遅刻しそうになると仮病で休もうとし親に怒鳴られたこともあった。それが二年になると平気な顔で遅刻するようになり下駄箱の通路でホームルームを終えた担任とばったり会って
「どうした?」
と訊くが先生はまったく怖くないので
「寝坊です」
と正直に言ったら先生は苦々しい顔をしたが怒りはしなかった。先生は男の教師で英語の教師だった。それから十年くらい経って当時のクラスメートの女子とばったり会ってそれがまたどこで会ったのかもまったくおぼえてなくて奇妙なのだがとにかく飲もうということになってその子の行きつけの焼鳥屋に行って女の子は店のおばさんとも親しげに話していた。私は彼女とは一年の中で席が近い時期があってもうひとりの女子と男子と四人でよく話をして盛り上がっていた。その組み合わせというのは後にも先にもその一時期だけだったのにかなり楽しくやっていたからやはり今思い返すと奇妙である。奇妙というのはその後はまったく話もしないような間柄になったことである。それで一緒に飲んだKという女子と担任の話になって
「私は花岡先制を泣かせたことがある」
と言い出し理由を訊いてみるとKは実は一年の3分の1くらいしか学校に行っておらず家庭訪問にきた花岡がどうにか学校に来てほしいと泣いて頼んだとのことだった。私はKとは前述の通りかなり仲良くやっていたのに半ば登校拒否状態だったことはそのときまでまったく知らなかったのでびっくり仰天してしまった。Kは登校拒否の原因についてははっきりとは言わなかったが雰囲気から察するにイジメとかそういうことではなさそうだった。私は当時の自分と重ねながらKも花岡のやさしさに甘えただけだったのではないかと思った。Kとはその日に飲んだきりもう会っていない。花岡とは言うまでもなく。

周瑜が死んだ

吉川英治三國志」の周瑜が死ぬところまで読んだ。私は三國志は読んだことがなくとも三国無双というゲームはやっていてそれで最初に使ったキャラが周瑜だったので孔明に翻弄されて気の毒だった。三国無双は知人の引っ越しの手伝いをしたときにPS2の本体といっしよにもらったものだった。とにかく即断即決の人で新居に荷物を運んだ足でいらなくなった家具類を売りに行きそのとちゅうで「腹が減った」と言いマックに寄ったがドライブスルーが混んでいるのを見て
「マックで並ぶなんてバカにされているみたいだ」とすぐにUターンして別の店に向かった。このときのことは今でも覚えていてマックに行く度に思い出す。そのときの店は私の家のすぐ近くだったが今はなく当時よりも店舗の数はだいぶ減っていつ行ってもドライブスルーには車が並んでいる。その最後尾に並んで順番がくるのを待っていると複雑な気持ちになるがマックは安いし何しろ子供が外食といえばマックみたいな人たちなので頻繁に行く。昔に父がどこから得た知見か知らないが
マクドナルドは子どもに三食全部マックを食べさせるのが野望だ」
と言っていて私は資本主義ここに極まれりみたいなことを思ったが私の子供が親になるころは日に二食くらいはマックになりそうだ。

いぬやしきを3分で読み終わる

昨日休みだったのね。それでレンタルコミックでいぬやしきテラフォーマーズを借りて読んだ。いぬやしきはすでに何巻か読んでいたのでとちゅうから読んだ。まだ読んでいないのが2冊あったからそれを借りたのね。テラフォーマーズは1巻と2巻を借りた。同僚が「あの設定でどうやって話し続けるんだ?」みたいなことを言っていてもともと読み切りだったことや映画になったことを教えてくれた。読んだら確かに一巻は結構景気よく人が死んでしかもなんかそれぞれの過去がコンパクトにまとめられていて「でも死ぬんでしょ?」みたいな気持ちになった。そうして2巻になったらずいぶんゆるくなった。この先は知らないが。


いぬやしき爺さんと若い人の戦いで一冊のほとんどがセリフが「じじい!」しかなくて3分ほどで読み終わってしまった。なぜ3分がわかったかというと冷凍のペペロンチーノをレンジで温めていてそれが3分だったからだ。私はつくづく文字がないとダメだなと思い知った。絵だけだとすっとばしてしまうのである。世の中では早く読み終えると誉められる風潮があるが私は3分で読んでも頭にはほとんど入っていない。だからもう一度最初から読む。一度読んだら大まかなストーリーはつかめているから今度はじっくり読めるのである。たとえば「この人は死ぬのか?」みたいに思うと気になってとてもじっくり読もうとは思えないのである。


ところで昨夜夢を見た。私は父母と兄弟と草の生い茂った川のすぐ横の道を歩いていたがそこはどこかへ行く近道だったがとちゅうで道がなくなっていた。仕方がないので人の家の庭を突っ切ることにするとホースで水やりをしていたそこの女主人が「なに勝手に入ってんだ!」と怒鳴ってきて私は「よく不法侵入される家なんだな」と感づいた。母が「ごめんなさいね」と謝った。道に出ると遠くから「人殺しだよー」と言いながら走ってくる女がいて近くに人殺しがいるのかと思ったらその女が人殺しで小さいがとてもよく切れるナイフを持っていて私は左指の付け根あたりを切られた。そのあと父のほうに襲いかかったところで目が覚めた。

あえさい-そすけし

テレビにダイアモンド☆ユカイが出ていて彼の所属しているレッドウォーリアーズというバンドはどんなもんかとwikiなどを見ていたらふと同名のゲームがあったなあと思いそれは正確にはレッドアーリマーだった。私はレッドアリーマーと呼んでいた。私は外国の名称などでよく伸ばす場所を間違えておぼえることがあり例えば映画「沈黙の艦隊」の主人公も長い間スティーブン・セガ、ー、ルがと思っていたらセー、ガ、ルだった。セガールというマンションがあったから間違えたのである。「沈黙の艦隊」は中学のときに友達と見に行った映画でほんとうは織田裕二主演の「卒業旅行」が見たかったが地元の小さな映画館ではやっていなかったので代わりに見た。主演は前述のスティーブンだが敵役がトミー・リー・ジョーンズで私はそのときから「渋い人だなあ」と思っていたがまさかここまで連日テレビで見る存在になるとは思わなかった。


私はレッドアーリマーというゲームがやりたくなったので調べたらなんと3DSでダウンロードしてできるらしいので早速子供の3DSを借りてダウンロードした。つくづく便利な世の中である。レッドアーリマーは元はゲームボーイのアクションゲームでところどころRPGっぽいところがあって街中の壺を調べると中から魂をゲットすることができた。魂はあるていど貯まると悪魔のなんとかと交換できこれは自機のことでありたくさんあるとなかなかゲームオーバーにならずに済むのである。タイトルは途中にメモしたパスワードである。パスワードも昔はノートや紙の切れ端に鉛筆で書いたが今はスマホで写真を撮れば一瞬だし間違いも少ない。これも私が小学生のころには思いも寄らなかった方法である。もっとも当時からポラロイドカメラはあったから金持ちの子供は昔からパスワードを撮影していたのかもしれない。