意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

小説

たまにこんな小説いいんじゃないかみたいな夢を見る。私が書く小説である。起きてそのまま書き出すことがあるがやがて日が昇って日常が始まれば書き続けることはできないからいったん中断したらそのままである。最近の私にとって小説を書くことはとても敷居が高い。「カクヨム」というサイトに登録していくつか読んだがみんなけろりと書いていてうらやましい。内容も「けろり」というかんじだが私がうんうん唸って書いたって読む方からしたら同じである。私は最近ものを書くことがなんだか雲をつかむようなかんじになってきて途方もない気持ちになる。小さくまとめるのが良い方法に思える。


深沢七郎「みちのく人形たち」は割合楽しい短編集であった。あまり真剣味がないがところどころぞっとするぶぶんがあるが全体的に不真面目なかんじがして良い。ひたすら貧しくては不細工な人たちが登場する話なんかはブランキージェットシティーの歌詞のようで全体的に歌のようであった。ひたすらセックスなのである。時代で言えばどのあたりなのかわからないがひたすらセックスばかりする小説が生み出される時代があってそういうのを読むと自分の性器が筋肉痛になったような読後感がある。そういう小説はよく不潔な場所で行為におよぶことがあり全体の数としてはもしかしたら清潔な方が多いのかもしれないがそれはイメージであり割合乾燥した部屋でありそのために喉がかわくのである。エロい動画でもそういう雰囲気のがあるがあまり長い時間見たいとは思わない。


さっきから地面が揺れる。

遠回り

朝から気持ちが沈んでいたがガソリンを入れるためにガソリンスタンドへ行ってキットカットの大きいやつのバーとコーヒーを買って口にしたらいくらか晴れ晴れとした気になって
キットカットの大きいやつはビックリマンチョコ食ってるみたいだなー」
と思った。実際にはビックリマンチョコよりも厚みがあるのだが子供時代の口の大きさを考えると今でも売っている当時と同じサイズ(または小さい)ビックリマンを口にしても同じにはならないし懐かしいと思っている人はどこかで騙されている。観測する私たちも日々変化して記憶に影響をあたえるはずである。昔のものがどんどん復刻する世の中で例えば私は幼いころドリフターズに大笑いしたのでそのころの番組がまた放送されないかなーと思っていてついに放送されたがちっともぴんとこなかったというのと同じだ。私の感性が変わってしまったことは悲劇かもしれないが過ぎ去ったものがある程度の完成度をもって再現されてしまうのはどこか歪だ。私の少年時代にもベーゴマが流行ったりまたメンコという厚紙をひたすら叩きつけるゲームに大人が懐かしがって興じるシーンなどはテレビなんかでやっていたが当の大人がかんじた懐かしさというのはどうだったのだろう。やはりどこか胡散臭さをかんじつつも「懐かしがる自分」を演じ楽しんでいたのではないか。懐かしいという感情は紛い物である。楽しさを感じ続ければそれは今日現在も続くはずで「子供のころからやってます」という行為は日々更新されているはずだが懐かしいとはかんじないのである。


日が傾きかけた世の中を遠回りして帰るとひさびさに通った道には十年くらいまえに何度か行った飲み屋があるはずだがそこは更地になっていてススキが生えていて
「平家の夢のあとみたいだなあ」
と思った。一緒に飲んでいた人はまだ存命だろうか。

衣替えのタイミングを逸す

たしか一週間か二週間前は暑くて天気予報を見るとあるときからがくんと気温が下がり「この日が夏の最後か」などと思ったりした。本当はこの暑いうちに衣替えを実施すれば良かったがやはり暑いから半袖を着たいと思ったから半袖はしまわなかった。それから気温がぐんと下がり寒いのでとりあえず長袖を引っ張り出して着た。寒くなると私は途端に活動が鈍くなり家族は暑がりばかりなので暖房をつけることもできず仕方がないから朝は早めに家を出て車で暖をとることにした。車も家族が乗ると「暑い」と言い出し窓を開けたりするから寒いのである。そうなると休みの日は自然と布団に入り浸るようになりそうすると生活のリズムが乱れてやる気をなくすのでついに衣替えが手つかずでここまで来てしまった。半袖と長袖が入り混じって畳の上に放置されている。畳むところまでやったがしまう気にまではなれない。タンスの引き出しが空っぽで軽くなった。中敷きの新聞が目に入る。巨人がどうのオリンパスがどうの。

口の中がヘン

朝会社に行く途中にコーヒーを買って飲んだらそれは温かいコーヒーだったが飲んですぐのときはなんともなかったが麻についてひと仕事終えてからトイレ掃除をしてそのくらいから朝のコーヒーの苦味がずっと口の内壁にこびり付いているようなざらざらした感覚がとれない。的外れなメールが私の元にきてイライラしそれから小便器や大便器をみがいた。ドアのところの貼り紙に自分の名前と清掃時間を書き込んだ。その後も口の中の違和感が取れずこれは加齢に伴う新たな体の不調かと思った。昨日はつい夕飯を食べ過ぎてそうすると翌日も体の調子がおかしくなる。バランスをとろうと朝を抜いたら11時過ぎから腹が減った。腹が減るのは惨めだが食べ過ぎて胃が重くなるよりずっと健康的だ。


口の中の違和感の正体は前日に口の中を火傷したせいだとやがて気付いた。ラーメンを食べたのである。ラーメンというのは不思議な食べ物でどこで食べてももっと美味しいラーメンを食べたことがあるような気がしていつも70点か80点だなと思ってしまう。どの食べ物も100点満点なんてほとんどないのだがラーメンだけはいつも物足りないような気がしてしまう。ネットなどに「スープが」と書いてあると麺がイマイチな気がする。つけ麺の水菜が気にくわない。カウンターで食べていると近くのサラリーマンが白いワイシャツで麺をすすっていて大丈夫かと思ってしまう。

期日前投票に行った

ワケあって警察音楽隊というのの演奏を聴くことになり制服はパリッとしているし演奏も悪くないがどういうわけかみんなつまらなそうにしているし一応指揮者が前で手を振るが演奏者が誰も見ていない。こんなものなのかと妻に訊いたら妻もそう思ったと言った。妻は吹奏楽部出身である。聞くと音楽隊の人たちは年間200日どこかのイベントだのに演奏してまわるらしくつまらなさは飽きてしまったのだろう。指揮者を見ないのはいつも同じだからわざわざ見る必要もないということか。200日本番なら練習をやる時間もとれないから曲のレパートリーも増えないし増やす気もないんだろう。彼らもプロの演奏家には変わらないだろうがなんとなく不自由そうで気の毒である。白髪の人もはげ上がった人もいる。女の人もいるが女の人は特にうつむきがちで「生理がきついのかしら」なんて邪推をしてしまう。後半に旗を振る女の人のチームが出てきてこの人たちは全員が「今が人生で一番です」みたいな満面の笑みを浮かべながら端を投げたり振ったりするが演奏者の表情を見ているからこの人たちも内心どんな気でやっているのかわからないななんて考えてしまう。終わってから外に出ると大型バスが駐車場にあってどうやら彼らはこのバスに乗ってやってきたようで制服姿のままおしゃべりをしながら乗り込んでいてなんとなくホットした。音楽とはなんだろうと考えたくなるがあまりマジメに考えなかった。


その後期日前投票に行くために市役所に向かったが二度も道を間違えた。三度目は裏から入ろうとしたら裏は出口専用となっていてどうしていつまでも着かないのか不思議な気になった。投票を済ますと初めて出口調査というのを受けた。二つも書いた。妻が「誰に入れていいのかわからない」というから
「あなたの名前と同じ字が入っている○○党がいいんじゃないか」
とアドバイスした。読者は民子でも公子でも憲子でも希美でも好きな名前を想像したらいいと思う。H2という漫画で甲子園で有名になった主人公が記者たちに「好きな球団は?」と質問されるが答えの吹き出しは伏せ字になっていて(好きな球団名を入れよう!)と書いてあった。

動詞がキマらない

会議だった。テレビ会議と呼ばれるやつだがひたすら独り言を言っているようで慣れない。テレビには参加者の顔が並んでいるが自分がしゃべるときには資料をひらくからそれらも見えなくていよいよ独り言である。これまでの人生でこんなに独り言を言い続けたことがあっただろうか。まるでシェイクスピアである。シェイクスピア読んだことないけど。とうとうとしゃべる上司は偉いと思う。上司Bは何言ってるのかわからなかったがこの人は電話でも面と向かってしゃべっても何を言ってるのかわからないから同じだった。


今日は特にしゃべりの調子が悪く悪いとは私のことだが言うことが出てこなくて間を置いていたらもうそれで終わりと思われて遮られてしまった。テレビ会議はトランシーバーみたいに終わったら「以上です」みたいな合図を出すがあるいは終わったかどうかを探るみたいな間が生まれるが私がしゃべっていると上司が小さい声で「そうですね......」みたいにフェードインしてきて「お、相づちなんてめずらしいな」と思ったらそのまま私の番は終わってしまった。私は半分くらいしかしゃべってなかったが結構時間もつかったらしい。私はだいたい話が長いのだ。あるいはつっかえつっかえだったから見ていられなかったのかもしれない。うまくしゃべれないときって動詞がキマらないよなと話しながら思った。

ゾンビのようなやくしまるえつこ

いまだに音楽プレイヤーの「キュー」というものの性質を理解してなくて私はそもそも長い時間音楽を聞き続けるという週間がなくてあらかじめアルバム何枚もセットするという発想がない。そういえば昔乗っていた車にはCDのオートチェンジャーがついていて同時に6枚のCDがセットできた。カセットをセットするのだがホルダーが助手席の下に付いていた。もうほとんど忘れてしまったがCDの入れ替えなどはがちゃがちゃとかなりうるさかったに違いない。忘れてしまって残念だ。それから12、3年経ったが驚くくらい洗練されてしまった。がちゃがちゃとやかましくCDを入れ替えていたのが懐かしい。そういうものだからなのかそれともカーオーディオの宿命なのかCDの読み込みがしょちゅうエラーになった。レンズクリーナーを何度もかけたがすぐにまた読み込まなくなった。ところでレンズを掃除するときにバリバリの和製フュージョンみたいな曲がかかっていてこれを演奏する名もなきミュージシャンに想いを馳せた。


それから十何年たってキューというものができて前述のとおり私は長時間音楽を聴かないからいつもそのとき聴きたいのを選んで聴いたらそのアルバムを聴き終わると普通は無音なのにいきなり違う曲がかかって驚くことがある。これは以前の再生リストの曲で後から聴いたのはそのリストに割り込む形でセットされたのだ。わりこまれたほうがやくしまるえつこのCDで連続して2回か3回そんなのが続いたから何度でもよみがえるゾンビみたいだと思った。やくしまる!