意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

自動ドアが開かなかった

ゴールデンウイークも最終日なので朝はコインランドリーで毛布を洗い午後はクリーニング屋に行った そうしたらクリーニング屋の自動ドアが開かなくてそのドアはボタンを押したら開くタイプのドアだったが開かない 最初は人差し指で押したので次は親指で押したが同じだった 貼り紙がしてあって「○分後に戻ります」とあったがかんじんの「○」のぶぶんがドアの隙間にかくれて見えなかった また日を改めればいいやと思った 会員証が見つからなくてここまでイヤイヤ来たのだった 再発行すれば済む話だが来ない理由があればそれに飛びついてそのまま帰ってしまった 少し遠回りして帰った 日が陰ってきて私の体調もイマイチだった昼に食べたカップ麺が良くなかったのか 夜は野菜をもりもり食べた うるさい甥が帰った 明日からまた6時に起きる

近所で火事が

火事を間近で見るのは二回目で一度目は中学のとき帰り道のとちゅうで家が燃えているのを友達と自転車にもたれながら見た 春先でまだ中学に入学して間もないころでまだ部活が始まっていなくて土曜の昼下がりにはもう家に帰れたからそこを通りかかった 5月の連休明けから部活動が始まってほとんどの生徒は土曜の昼に授業が終わっても家に帰らずに部活動に参加した 私はそれがイヤでいつのころか気が向いたときにしか参加しなくなった 気が向いたなんて書くとすごく不良っぽいが私は毎度誰かに咎められるんじゃないかとヒヤヒヤした だからいちばん嬉しいのは雨が降ることだった 雨でも室内で筋トレなどをする部活もあったが私が所属したところは比較的ゆるくて雨だと休みになってしまうことが多かった 休みにならないときもあったがそんなときでもとぼけて帰ってしまった 一緒に火事を見た友達はバスケ部に入ると決めていて私はしつこく誘われたが断り本当に断って良かったと後から思った バスケ部なら始終屋根があるから雨だからと帰れないしそれでも土曜がしんどくて帰りたくなっても友達がいたらいちいち言い合いをして帰らなければならないのは憂鬱だ あるいは私はバスケに熱中したのだろうか 中学に入るまで私はそこまで部活動を毛嫌いして昼間はとにかく夕方以降や休みに学校にいなければならないことに我慢ならない性質だなんてまったく思わなかった 居心地が悪いとすぐに退散するのは大人になっても変わらずあるとき派遣で行っていた会社で夏祭りみたいな行事があって社員には派遣も含めてビール引換券をもらったが私はまっすぐ家に帰った 私はビールもそこで働く人もそこまで嫌いではなかったがどうせ話す相手もいなくてぬるいビールをちびちびやるのなんて絶対に堪えられなかった そんな私でも飲み会などで急に姿を消す人を奇妙に思ったりあるいは怒りを感じたりするから不思議だ 

東京靴流通センター

ネットに近所の写真が出ていておどろいた 東京靴流通センターがあって「東京靴流通センターだ」と思ってよく見たら他の店も見覚えがあって近くの国道の風景であった 上から見下ろすような形でとられていたがあの辺りに歩道橋があっただろうか 撮った人は私の家の近所の人なのだろう 私の家は田舎だと思っていてネットなどやる人などいないと思っていたから新鮮であった 近所には年寄りが多かった 隣の家のジジイは犬を飼っているが犬も最近はオムツをするようになってそういえば毛並みも悪く、年なのだ ゴールデンウイークなのか孫を連れたおばあちゃんが軽トラに乗ったおじいちゃんに何やら話しかけていて軽トラには年寄りマーク(UNOのワイルドカードみたいなマーク 正式名称忘れた)をつけているからおじいちゃんなのは間違いない それがノロノロと私の前を走る 私だって急いでいるわけではないからいいのだ 私の趣味は休日の朝にパンをかじりながらその辺をだらだらドライブすることなのだ 両手がふさがっていると余計なことを考えなくて済むし何よりひとりなのが良かった 


私の住む町は昔誰かが「この町は一方通行が多い町だ」と言っていて以来根拠もなく信じている 駅の周りは道幅がせまく一区画ごとに道路の向きが変わっているのである 税務署に行くときに昔一本道を間違えたらいつまでもつかなくて難儀したことがあった 帰りも来た道では帰れなかった 最近になっていくらか道も広がった イトーヨーカドーがつぶれ跡地にセブンイレブンがオープンしたが正確には駐車場だったところに建っていた 元住んでいた友人にラインで「イトーヨーカドーのつぶれたあとには何ができた?」と訊かれセブンイレブンと答えたら「セブンじゃ土地が余るだろう」と言われ駐車場だったことに気づいたがかんじんの建物だったところはなんだろうと見に行ったら更地だった 草が生えていて「兵どもが夢の跡」といったかんじだった イトーヨーカドーは子供のころにいちばん多く訪れたスーパーで子供のころに二階のレストランで食べた牛の薄切りステーキの味が今でも忘れられない 母が車を停める駐車場はいつも決まっていてそこから建物までの道のりは私の記憶にかなり深く刻まれている 敷地に入ると宝くじの売場があって後にそこはマクドナルドになった そこのマクドナルドで勝手にアダルトビデオの撮影をしていたとニュースになったことがあった

ムカデ殺し

ムカデを見ると反射的に殺さねばと想ってしまう 毒があると聞く 最初に見たのは中学が高校のときにコタツの中に入っていたのを妹が発見したのが最初だ 大騒ぎする私たちの元に父が部屋から駆けつけて
「毒持ってるぞ!」
と警告を与えるだけで引き上げてしまったので自分たちでどうにかしなければならなかった 潰そうとしたがとにかく硬いので難儀した 最終的に風呂の排水口から流してしまった気がする それから幾日もしないうちにまた出てきて原因としては家の周りの草を伐採したために家の中ににげこんできたのではないかと分析した 自然破壊で里山を追われたクマが町に出没するみたいな話である その経験が元で私の中にムカデについて

・硬い
・遭遇したらとことんやらなければならない 

という認識が刷り込まれた 田舎なので何年かに一度は遭遇する 最初の遭遇のあとにムカデは皮が固いので熱湯をかけて殺すのが効果的とアドバイスを受けたため試したら効果てきめんであったので以来ムカデを確認したらまず湯を沸かすようにした しかし湯を沸かす間にかくれられると厄介なのとお湯をかけると下が濡れるから場所を選ぶというのが欠点であった いつだったか洗濯機の中で遭遇したことがあって水を張った状態だったので押さえ込んで殺したこともあった 思ったよりも長い時間脚をバタバタさせていたのでひょっとしたら昆虫は酸素がいらないのかもしれないとヒヤヒヤしたがやがて動かなくなった


今日は道の駅の建物のそばで見つけたのでやはり危ないと思ったが自宅ではないのでしばらくいたぶった後に体の上に石を積んで動けなくしてその上から体重をかけて圧死させた その後虫の息のゴキブリを見かけたがこれは放っておいた 見晴らし台があったので家族と息を切らせながら登るとさっきのゴキブリを見かけたところも見え、すると子供が「さっきのゴキブリまだ生きてる」と言うので見えるのかと訊くと黒い点が多分そうだろうと言うので無茶言うなと思った 保坂和志神宮球場の外野席からピッチャーの投げた球のストライクとボールがはっきり判別できたという話と同じだろうか

忘れ物

アニメ「はなかっぱ」で主人公のはなかっぱのクラスで「明日ショートケーキをつくりましょー、材料は各自が持ち寄って」というエピソードがあってはなかっぱはイチゴの担当となる はなかっぱは頭から花を咲かせる能力があるからイチゴも咲かせればいいということになってお母さんが心配するのをよそにテレビやサッカーなどをして遊んでいるうちに次の日の朝になってそれでも花を咲かすダンスをちょちょっと踊ればイチゴは咲くはずなのだが咲くのはカボチャばかりである 焦れば焦るほど咲かせられなくなって休み時間などもがんばるのだがどうしてもうまくいかない 最後は泣きながら謝ってみんなも許してケーキは急遽カボチャのケーキになりましたとさ、と終わるのだがこの話はもう何度も再放送されておりそのたびに私は胸が疼いてチャンネルを替えたくなる 直視できない 何故だろうと考えたらそれは忘れ物ばかりをしていた小学生のころの自分を思い出すからだった 軽いものでは書き方で使うフェルトペンとか中くらいでは芋掘りで使うシャベルとか 親がもう少しチェックとかしてくれれば良かったのにとも思うが私には妹と弟がいたからそんな余裕はなかったのだろう いちばんきつかったのは国語の教科書の上と下を間違えたときで間違えた下を上だとごまかして一時間乗り切ろうとしたら読み上げを当てられてそれでも斜め前の人のを盗み見しながら読み上げたら上手く行かなくてバレて思い切り怒られた 授業中だったがすぐ隣のクラスで借りてこいと言われ隣に行ったら体育でいなくて三組に行ったら三組は若い先生で「どうした?」と言われた 「どうした?」というのは実は私の鼻の頭の大きなかさぶたのことで何日か前に私は自転車で思い切り転んで顔面から落ちて鼻を擦りむいたのだ それで誰かに上は借りて乗り切ったが書いている今も落ち着かない気持ちになった 過去は恥ずかしいことばかりの連続だがたまにフラッシュバックのように当時のことを思い出しうずくまりそくになるがその度に「もう済んだことだ」と自分を落ち着かせている どうして小学生のころはあんなにきつかったのか 自分の子供を見ていると子供どころか妹や弟が小学校に通っている姿を見たときに私ほどきつくないのではないかとかんじた たまに夢で「今日は体育があるな 憂鬱だ」と思うことがあり目が覚めて体育なんて二度とないことを知って安堵する 逆のパターンもあってまだこれから大学受験だと思うと夢の中で安堵する 私は特別体育が嫌いだった記憶がないがもしかしたら体育着を忘れてしまうリスクを恐れていたのかもしれない 

ミスチル

同じバンドのファン同士が付き合うと地獄【ミスチル編】 - kansou

私が中学2年くらいに「クロスロード」がヒットしてブレイクして私のまわりにもミスチルファンが増えた 私は当時から音楽には疎くて理科の時間教師と生徒が「ルナシー」の発音について話しているときもわけが分からなかった B'zの「いなば」はかろうじてわかったから中学1年くらいまでは熱心にCDを買っていた ワンズとかザードとかティーボランである 今思うとどこでそれらの音楽を知ったのだろうか ザードの「負けないで」白鳥麗子でございますの主題歌だったと記憶する 松雪泰子がお嬢様の役をやっていたが社会の教師が「俺は鈴木保奈美のバージョンのほうが好きだ」と言っていて鈴木保奈美東京ラブストーリーのイメージしかないから違和感しかなかった 東京ラブストーリーはほとんどおぼえてないがそんなに見ていなかった気がする 見ていなくてもブームだったから誰でも知っているかんじだった 織田裕二はそれから踊る大捜査線まで見なかったが世間的には映画とかによく出ていたらしくお笑いのコントで芸人が扮するときには必ず耳が大きく強調されていたが織田裕二が耳がでかいというイメージは一度も持ったことがない 私が初めて買ったCD(アルバム)はアルフィーでそれは当時アルフィーとんねるずのみなさんのおかげですで卓球をやっていて卓球の後にそのCDを宣伝していたから買ってみようと思ったのだ アルフィーとんねるずと言えば石橋貴明が宜母愛子に扮してイボ貴子と名乗り心霊スポットに出かけたときに心霊写真みたいな映像が撮れたときに「これは(卓球ラケットを構える)高見沢の霊です」と断言していたのを忘れずにおぼえている 


私が中学になってCDを買うようになると叔父が「貸して」と言うから貸すようになった 叔父は米米CLUBのファンで当時米米CLUBも「君がいるだけで」がヒットしたからCDをカセットに録ってもらって聞いていたら私は次第に米米CLUBしか聞かなくなってしまった ミスチルはその頃にブレイクした 私はクロスロードとその後のイノセントワールドはかろうじて知っていて悪い歌とは思わなかったがもうお金を出してまで買おうとは思わなかった(アトミックハートは高校になってから文化祭で「オーバー」のコピーをすることになって買った)やがてザードやワンズのように落ち着くのだろうと思っていたらミスチルはじゃんじゃん売れるようになって政権与党のようになった すでに音楽に疎い私は「国民的」という意味も理解できなかったがファンを名乗るクラスメートの図々しさでその勢いを知った とにかくカラオケで男同士で歌う順番をきゃっきゃやっているのが気持ち悪くて仕方がなかった しかし私だって近くに米米CLUBのファンの人がいたら「次は「抱きしめたい」いっちやう?」とかテンションが上がってキモかっただろう 幸運だったとしか言いようがない とにかくみんなが良いと評価する物には警戒するようになったのはこの経験のおかげであった ちなみに「抱きしめたい」という曲は米米CLUBにもミスチルにもあって米米のほうがタイアップもしててメジャーだろうと思っていたが誰もがミスチル一択であった 「星になれたらいいね」とか「チルドレンズワールド」とかどうでもいい曲名もたくさんおぼえてしまった

遅刻

朝車で2、3キロ走ったところで忘れ物に気づいて引き返した どうせ遅れるだろうと思いUターンしたコンビニに寄ってモンスターエナジーを買った 祝日だったせいか意外と車通りがスムーズで定時ぎりぎりに到着した 定時と言っても今はフレックスが始まったからそこまで気にはしてないが 事務所にはいると今日休みのはずの人がいて立ち話をしていたら結局タイムカードを切り損ねた 今日一日でいろんな人が休日出勤してきた 部署がちがうから本当のとのろの勤務実態はわからないがみんな私服でくるから明らかである 男は夏になるとハーフパンツを履いてきて女は総じて華やかな格好でくる 服が替わればまた気分も変わるのだろうか 今日は「車を片づけにきました」なんて言いながら来た人がいた 私と同い年だが私よりも腹が出ている 話の長い人なのでほとんど素通りしたが車両のローテーションが始まるらしい そんなことで休日出勤なんて気の毒だが晴れていたから片付けもはかどるだろう 私も今日はだいぶ重い物をあちこちに動かしてひとりで「暑い、暑い」と言っていた
「クーラーつけていいですか?」
と訊くと休日出勤の人に
「窓開けますか?」
と聞き返された 私は通常の出勤なので堂々とクーラーの電源を入れた