意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

なわとび

夢の中で私は高校生で10人くらいの男女の集団が輪になって「なわとびをしよう」ということになった この「なわとび」は私の知っている「なわとび」ではなく確かに縄は使うがまずは2人一組になってというところからまず様子が違うし私はそういう勘が働くので高校生だけの集団がただの縄跳びを自発的にするわけがない おそらく現代風にアレンジされた遊びなのだろう 私の世代でいうとせんだみつおゲームみたいな 実際縄跳びの前は夢だから忘れたがそういうゲームをしていた それは私も知っているゲームだからそれなりに楽しかった それが一段落したところで私は輪から離れて別の部屋に行くと先生が2人いてひとりが「わたしはpayの使い方がわからない」とボヤいている それじゃあみんなで教えてあげたらいいと思った 私たちはもうすぐ卒業だったからそういうのもアリだと思ったのである もちろんそれを先生本人には伝えずまずみんなに提案してみようと思った しかし戻るとなわとびの流れになった そして知らない男がいて仕切っている 色黒で物腰がやわらかくリーダーシップがあった 男は私のすぐ隣で「なわとびしようよ」と提案し周囲はすぐに納得した 私が言うと大抵「えー」とか言われるから私はすぐに「彼は人気者でリーダーシップがあるんだな」ど見抜いた 2人組になる指示が飛んだとき私は彼に飛びついた 実のところ私はなわとびを知らなくてかなり冷や冷やしていた 下手な人と組んだら馬鹿にされるし知らない同士だったら場を盛り下げて追放されかねない その点彼なら正直に「なわとびって初めてなんだよね」と言えば親切に教えてくれるはずだ 元々の性格もあるし何せ彼が提案したゲームだからそういうケアの義務も発生するのである 私と彼はクラスメートで顔見知りだったので私が飛びついても特に不自然ではなかった しかし輪の中でペアが完成してくると彼は私を連れて輪の反対側まで行くと「俺は○○と組んだほうが面白いよね」と組み換えを指示し私はずんぐりとした冴えない男と組む羽目になり私は内心「やべえな」と思ったところで目が覚めた


そういうことは学生時代幾度もあった 私は自意識が強すぎるのである 夢の中で私はとちゅうからいじけていた それは知らないゲームが始まったことと先生にpayを教えるという自分のアイディアが通らなかったことに由来する だからもっと言えば私はわがままなのである それは当時がそうだったというわけではなく今もそうでしかし今は社会性を身につけ社会性とは端的に言えば自分を突き放す能力である 例えば私は集団内では率先して「いじけるキャラ」になりそれによって周囲の注意を引くのである これは私のいじける気持ちを1割程度におさえられるからうまくいくのであり本格的にいじけたら誰もがうっとうしくなってついて来ない そういう技術を私はみがいた


自意識は過剰だが能力がついてこない人は最終的には孤立するしかないのである 夢の中のなわとび提案者にも自意識はあるだろうが彼には圧倒的な能力があるから自意識というものを意識したことすらないだろう 私はそういう人がうらやましかったがそういうとき私はゲームをしたり小説を読んだり漫画を書いたり死について考えたりして気を紛らした あるいはそういう人たちをオタクと呼び始めたのかもしれない 今はそういう境遇のストーリーがたくさんあるから孤立は寂しくないのかもしれない

秩父方面へでかけた 朝5時に出ると意気込んだが案の定出発できたのは8時近くになってからで私は実のところ4時半に目が覚めたが特に家族を起こさなかった それでもプランAを諦めると目的地には早く着いた 秩父駅周辺は古い建物が多く踏切も遮断機がなかったりして和んだ 寺で「フリーマーケット」と看板が掲げられていたが中に入ると老婆がひとりゴザを敷いて結婚式の引き出物の食器セットを打っているだけなのも良かった その向こうにおそらく廃園になった幼稚園のがらんどうになった下駄箱も良かった 鎖の外されたブランコが羽のもがれた虫のようだった 縁日とか運動会とかそういうときにもブランコの鎖は外された 近くで芝桜が見られるというから行ったが美しいものを無理やり押しつけられているみたいで楽しくなかった 露天で「100年いなり」というのを買ったが食べながら飽きた 「いなり」と「左」の語感が似ているからしばらく子供と「その先いなりね」と言ったりして遊んだ お地蔵さんのこめかみにミノムシがついていて中から芋虫が出たり入ったりして興味深かった 


いくつか神社を巡っていると雨が降ってきた かなり強い雨だったが私たちは降り出した頃には車に乗って帰るところだった 二組の男女が歩道を走っていた降り出す前に一度売店で見かけた男女で缶チューハイを飲みながらやたらと「年取ったね」と言い合っていた どう見ても学生か卒業したてだった 私は微笑ましい気持ちになった 誰だって今この瞬間がいちばん老いているのである 確かに彼らは見るからに愚かしかったがそれでも彼らは間違っていなかった 彼らはまだまだ足腰が丈夫で少しでも雨粒を避けようと走っていた 先頭の男が両手を水平に振りながら女の子みたいな走り方をしているので私たちは車の中でさんざん笑い物にした

日常

今日から仕事が3連休なのでとりあえず嫌にならない程度に部屋を片付けて爪を切った 爪は週に一度程度切っているがここ半年は伸びていても(ああ面倒くさい)と切るのを先延ばしすることが多かった 夜に面倒だと思うと「朝早起きしてやればいいか」と思うができた試しがない 鼻毛を切るのも同様だ 髭は風呂に入ったときに剃るから後回しにしなくて済むがそれは妻が家族が風呂に入ったかどうかに異常に執着するからである 私が家にいるとき(夜)は妻は発声の半分は「早く風呂入れ」と言っている 私の実家はその辺がものすごくルーズで父も母もしょっちゅう朝に風呂に入っていて冬はわざわざ沸かしていた 妻の執着のせいで私の子供は女だが朝シャンをしているところを見たことがない 朝シャンは死語か ひょっとしたら今時の若い人はそこまで清潔好きじゃないのかもしれない 大学時代の友達は夏になると1日三、四回シャワーを浴びると言っていた そういうのも古いのかもしれない

暖房をいれたような朝

割と好きな朝である 昨夜までの雨で空気が冷え太陽がまるで入れたての暖房のように素肌のみを焦がす しかし黒い雲はまだ残っていて一部が西の山に引っかかっている よく高速道路のパーキングでこのような朝になる 私たちは出かけるとなったら朝は早いのである 三車線あった道路が二本になってそこからが本番なのである 目的地につく頃には車のバンパーにはたくさんの虫の死骸がくっついている 


仕事に着くと私は昨日のやりかけの仕事にとりかかった 数字合わせの割かし好きな仕事であった タイムカードの時間が有ってるか確認するだけの地味な仕事であった 扉がひらき同僚がやってくる たばこを吸うために灰皿を表に出す たばこを吸う人はひと息つくのがうまそうだ

新時代こんにちは

とりあえずカイシャでは
「明けましておめでとうございます」
と挨拶した 悪乗りして「今年の抱負は?」と訊いたが答える者は誰一人いなかった


舞上王太郎「好き好き大好き超愛している」を読んだ 昔読んだときはいつだったか忘れたが駅のホームで貪るように読んだ 今は説教臭さが鼻についた

スティックが折れた

夢の中で一小節ずつのかわりばんこのソロがあってドラム担当の私はバスドラムだけでソロをやってのけた 一小節ずつというのはよくあるやつなんだけど皆さんが知っている曲だとなんだろう? 私はいちばんに浮かんだのはイエモンのsweet&sweetのサビの前のところだけどイエモンは知っていてもこの曲まで知っている人はいないだろう ボーカルが「なんとかなんとか~」て歌ったあとにドラムがドカドカやってまた歌があってドカドカがあってというのをだいたい四回繰り返す ライブだと8回とかになってそのまま本格的なドラムソロになったりする とにかく私はバスドラムのみのソロをやってバスドラムとは右足で踏むでかい太鼓である 私のすぐ後ろには先生が立っていて私の演奏をチェックしている 先生に出会ったのはもう二十年近くも前だ


ソロが終わってふと右手を見ると握ったスティックの先が斜めに裂けて折れていた さらに左手のスティックもこちらは真横に折れていた 普通は片側の右手側のみが折れるから珍しいなと思った 折れるというのは一体何を表しているのでしょう