意味をあたえる

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ピカソ長田氏

昨日記事を書いたら長田氏がコメントをくださり、何か返事しようかと思いつつも特に思いつかないし、あまり書いてもらってすぐに返すのもがっついているみたいだし、と思い、ひとまず寝た。そうしたら朝は寒く、私は風邪を引いたかと、一瞬勘違いしてしまったんだ。

ピカソについて、私がもしも今、美術教師なら、少し前にキュビスムキュビズム? は色んな面から見た風景や対象を、通常なら視点ごとに1枚ずつというところを全部ごっちゃにして、1枚にしましたよ、という説明を読んだので、そうすると人の顔の鼻や歯がへんてこな向きをしているのにも説明がつく。そういうのを思い出しながら検索窓に、「ピカソ」と打ってみたら、ぐちゃぐちゃのばっかりだけど、割とシンプルに正面と横顔がドッキングした絵もあったから、そういうのを印刷して黒板に貼り付けて、いや、美術室は結構広いから、黒板に貼ったら後ろの子なんか見えないかもしれないから、手で持って、ロビンフッドの映画で、徴税人が、新しい税制を村の人に知らせるとき(もちろん値上げだ)みたいに紙の上下を持って、見せればいいかもしんない。それで、
「この目は正面バージョンと横向きバージョンのどっちだ!?」
とクイズをしたら、もしかしたら1人くらいは面白いとか思うかもしれない。しかし、長田氏は、美術は政治でもある、と述べていたから、カリキュラムもあるし、私は妻子もあるから、
「外へ行って風景を書きましょう」
なんて言うだろう。風景なんかクソくらえなのに。

ピカソのような絵は、私にも書けますよ」
は、実はとても良いことなのかもしれないと、ふと思いました。それは、朝のEテレの番組で、「いないいないばあ」か「おかあさんといっしょくた」なのか忘れましたが、いきなり画面に名のない幼稚園児が登場してきて、即興で話をするというコーナーがあって、それが凄まじくシュールで面白い。どうしてこんな毎回天才のような子供ばかりを連れてくるんだろうと、NHKは毎回1万人くらいの子供の話を聞いて、いちばんのやつだけ放送しているのかもしれない。単に子供はみんな芸術家、と言いたいだけなんですけど。けれど、絵についてはネモちゃんが幼稚園のときに見に行ったけど、ネモちゃん以外は退屈だった。それはネモちゃんだけがずば抜けた天才というわけではなく、ネモちゃんが私の家族で、ネモちゃんの絵の中に私が登場するかも、という、この前テレビカメラが撮影しているところ通ったけど、もしかしたら映ってるかも! みたいな心境だからだ。

とにかく知識とかテクニックは先入観を生むだけだから、つけるだけ無駄だとおもったわけだが、語彙なんかいくら増やしても、かえって見せびらかしたくなるだけなんだから、と思ってもそれに気づいたのは割と最近なので、どうにか捨てられないものかと悩む毎日です。

ところでキュビズムの正面と横顔についてだが、私はふとそれは相対性理論とかの影響もあるのかな、とも思った。つまり顔の正面、横顔、が決して重ならないのは見る順番があるからで、順番とは時間のことであり、時間が崩壊したからドッキングした。相対論によって、時間は一定じゃないよ、というのが世間に広がって、そういう世間の空気を感じ取ったぶぶんもあるのでは? とか適当に仮説だてていくのが楽しい。あと哲学とか。