意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

中1

夜中に目が覚めたら、iPhoneの充電は100パーセントになっていて、寝るときに0まで使い切ったから、なんとなく晴れ晴れしているだろうと思い、画面を開くと私の記事にコメントがついており、「中1」というワードから、またずるずると引っ張り上げられそうな記憶が出てきて、大急ぎで書こうという衝動にかられた。

一方で私は昨晩にそぼろご飯を食べていて、そぼろの上にさらに豚肉が乗るという肉づくしであり、あぶらっこいなあと思いながらも、私はあぶらっこいものが好きなのでぱくぱく食べていたら、胃がずしりとしてきて、やはり夜中に胃が痛くなって目が覚めた。

だから、胃が痛いのに書いてもなー、とか、書いている途中で寝ちゃってもなーとかぐずぐずしながら、その間も頭の中で文章はずんずんと組み立てられてきて、組み立てられた文章、というものを私は恐れていて、組み立ててしまったら書けない、と思い込んでいるからだ。例えば私はもう次の日になってしまっているから、はっきりと覚えていないが、
「それは起きた、中1のときに……」
のような書き出しを思い描いていたが、今となっては、とても書こうという気にはならない。また、私がぐずぐずしてしまった理由として、次の日(今日)が休みだから、というのもあった。

ところで先ほど「銀の匙」を読み終わり、この本の私の読んだ文庫では、橋本武という101歳の国語教師の解説がつけられており、101歳というのは文庫の帯が印刷されたときの年齢だから、今は102歳とか103歳なのだろう。私は解説などはあまり熱心には読まないし、解説でその作家のまだ読んでいない小説などがとりあげられることがよくあるからで、そうすると、次にその作品をよむ楽しみが減ってしまうのではないか? と思うのが理由のひとつである。

今回の解説もいい加減に読んだのだが、しかしながら、今回はふつうのと違って、本文の下のほうに同時進行で書かれており、しかも学生に教えるような、語句の意味などが中心となった解説だったので、いつもよりは目に入れる回数が多かったように思う。そうしたら、最後のほうで
「「あらゆる思いのうちでもっとも深い名もない思い」とは、何だと思いますか。」
とあり、これは本文中から引用されたものだが、私は読み飛ばしてしまっていたので、この解説はありがたいな、と思った。

質問されたから、私も生徒になりきって答えてみるが、まず「名もない」とは、名付けられていない、という意味ではなく、「名もない」という名がつけられている。一種の修飾である。「名もない」というのは、透明的なもの、0的なものである。つまり、単独では存在しないもの、ある条件では「ある」と定義しなければことが進まないものだ。透明とは、その向こうに別の対象がなければ、視覚上は認識できないし、引き算で、最初の数から同数をとってしまえば、0というものが顔を出す。

「私たちの感情にも、そういうものがあるのだと思います」