タイトルは保坂和志「遠い触覚(河出書房新社)」の96ページからの引用である。痺れたので、タイトルに持ってくることにした。
「多くの人に通じようなどと思わないこと」
のぶぶんを朝の9時13分くらいに目にしてから、何度もそこばかり読むので、先に進むことができない。9時13分よりかは前は、今日は月曜日だったが、シキミに上履きと給食着を持たせるのを忘れたので、車で学校まで届けた。昔は、昔というのは私の子供の頃は、親が教室まで届けたり、あるいは子供が家に電話をかけて校門のところで待っていたりしたが、今はそういうのはダメで、必ず事務室の人に渡さなければならない。門も閉ざされている。門を自力で開けなければならないのか、と私は憂鬱になりかけたが、門の隣にミニ門があり、そこはうっすら開いていたので私はそこから中へ入った。ミニ門は誰のサイズに合わせたのか小さく、私は中へ入るためにかがまなければならなかった。実は小学校というのは私が通った小学校でもあり、私はそのころは
「低いな」
とは思わなかった。こう書くと私の成長談みたいな美談になりそうで気持ち悪いから補足するが、私が子供のころは大きな門の方が日中夜開いていたので、ミニ門などわざわざくぐらなかったのだ。ミニ門の脇には花壇があり、春先には
「勉強頑張れば、ファミコンもらえるよ」
みたいな怪しい教材屋が実演販売みたいなことをしていて、何人かの子どもたちにファミコンをもらう手順などを説明していた。私は子供の頃は今ほど論理的に考えられる人間ではなかったから、怪しさの根拠を自分の中で組み立てられなかったが、怪しいとは感じた。勉強とファミコンという相反するものが、ドッキングされているものを、親が許可するなんて考えられなかったから私は素通りした。ゲームはゲーム、勉強は勉強、である。
私が事務室に行くと、しかし中には誰もいなかったので、隣の職員室へ行った。途中で何人かの教師とすれ違い、みんな
「おはようございます」
と言ってくるから、私も
「おはようございます」
と返した。私は私自身が見えないから、私もひょっとしたら小学生なのかもしれないとか一瞬思った。
私がタイトルの文に出会うまで、今日は上記のような朝の出来事を描写して今日の記事とするだろうと予感していた。(しかし書いている)今日は休みで夕方までひとりの時間が確保できたので、その時間の最後の方に書こう、しかし書きたくなったらその限りではない、と自分で取り決めた。
私は少し前からインターネットで目にした「読まれなければ意味がない」という言葉に対してずっと違和感を抱いていて、しかし保坂和志のタイトルの文が、それを粉砕してくれた。やはり「なるべくたくさんの人に読んでもらおう」という発想は、その人が持っていたはずの才能を殺すのである。
そういう私の発想も、おそらく、ごく少数の人にしか受け入れられないだろう。
「でも、これこれこうだから、結局は読まれてナンボでしょ?」
と誰かが親切に言ってきたとしても、私は何も反論することができない。議論になったら100パーセント負ける。私にできることと言ったら、その負けにすがる、負けの価値を反転させる、くらいのことである。
保坂和志のタイトルの言葉の前段落に「Google」という単語が出てきてそれは否定的な意味で使われている。私がインターネット上で物を書けなくなる日は、それほど遠くないんじゃないかと予感した。